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  「坂東三十三観音霊場」


◎バイクで行く「板東観音霊場巡拝」 25,4,1開始。


   
4月1日、木更津市郊外にある板東30番「高倉観音」に詣る。真言宗豊山派のお寺である。館山道木更津北インターで降り、上総アカデミアパーク方面に向かい、そのすぐ近くにある。その後上総中野駅に行き、たまたま「いすみ鉄道」のムーミン列車に遭遇。今年デビューしたての新型車両であった。   
   
 4月4日、春休みも、そろそろ終わりを迎える義輝と二人で、厚木にある板東6番「飯山観音」へバイクを使って向かった。ちょうど「桜祭り」にあたってしまい、観光協会が用意した駐車場がかなり離れた場所だったので、到着したのが夕方4時過ぎだったが、  今、写真を写している場所が本来の駐車場のある場所。ところがここまでくるのに倍の階段とさらに山向こうの駐車場から歩かねばならなかった。ちなみ7日まで桜祭りは開催されている。
   
4月10日、吉祥院から距離にして52km。いすみ市にある板東32番音羽山「清水寺」にスーパーカブを使って詣った。「清水寺」は『日本3大清水』といわれ、京都、兵庫そしてこの夷隅地区のお寺を指すのだそうです。ちなみにここはまだ山への入り口。奥の道をお寺に向かって上っていきます。
 
 山門到着。山門には、阿吽の金剛力士像が・・・・。
   
  金網にピントが写っているのですが中の金剛力士像の色に注目。木造にグレーと赤の着色は珍しいと感じました。さらに奥の山門があり、階段を上っていきます。もう一つの階段を上がって、やっと本堂到着。大きな奉納絵馬がたくさんかかっており、浅草の浅草寺にも特別に拝観させていただいたときにも歌舞伎絵などの巨大絵馬がかかっていたのを思い出しました。古くからの信心する方々がたくさんおられたことを感じさせられました。また。入り口両脇には、焔魔堂や本堂は千手観音閻魔堂脇には、十一面観音堂などがあり、古(いにしえ)の賑わいぶりがうかがえる寺であった。・・・・・住職。 
   
   
   
4月12日、板東33番「那古寺」へまたまたスーパーカブを使って女房殿と二人で詣る。10時30分頃出発。先日の清水寺の時は、寒くて大変だったが、今回は日差しが暖かく、風もここちよい。   納経所でご朱印を頂き本堂に詣る。何年か前にご開帳をした本堂で私のそのときは私も法要に参加している。
   
 斜め後ろに多宝塔がありその横の鐘突き堂は現在修繕が始まっている。・・・・住職。  25,5,12久しぶりの板東観音。今日は、川崎大師の駐車場にバイクを置いて、そこから徒歩で7分、京急川崎大師駅から電車に乗り、川崎駅までまず、行きます。
   
「だるま」というタイプの電車だそうです。   そこから「快特」に乗って一駅で横浜駅。さらに急行に乗り換えて「弘明寺(弘明寺)」駅で降ります。
   
駅から1分。本日訪れたのは、板東14番「弘明寺」です。高野山真言宗のお寺。本尊は、十一面観音です。   脇の建物に、「役行者(えんのぎょうじゃ)」山伏信仰に関係する「修験道」で有名なお方です。
   
 こちらは、三途の川を渡るときにいらっしゃる「奪衣婆」。  そして「閻魔大王」。吉祥院のものよりだいぶ小さいのですが、やはり迫力があります。
   
 来た道を戻り、川崎大師へ。  最後に本堂をお参りをして、帰路につきました。・・・・住職。

28,11,4


・久々の「板東観音霊場」詣り 板東31番札所 「笠森観音」

   
多くの石段を登り、山門にやっとたどり着く。   境内に出て、見事な京都「清水寺」のような観音堂が見えてくる。
   
堂に上がると、この景色。御朱印を頂き、ろうそくを立て、お参りさせていただく。堂内は、写真厳禁。  職員の川口さんにいろいろとお話を伺う事ができました。ありがとうございました。 

・平成28年11月16日(水)から17日(木)

   
板東8番「星谷寺(しょうこくじ)」神奈川県座間市。小田急線座間駅の近くにある寺です。   踏切のすぐ近くにあり、電車の通る音が聞こえます。境内は整理されており、バイクでの駐車も楽です。入り鐘はつくことができません。
   
納経所は、観音堂横の専用の建物があり、そこで頂きます。なんと自動販売機でチケットを買って、それを渡してから頂きます。   これが観音堂の内部。天女が迎えてくださいます。
   
 続いて小田原市内飯泉にある5番「勝福寺」  街道のT字路にあり、駐車場は舗装されていないが結構広い。
   
今回最後は、平塚市にある、7番「金目観音」5番と7番の寺は、「小田原厚木道路」から割と近いので利用すると便利です。場所は金目川沿いで、学校を終えた小学生が賑やかな声で川沿いの道を下校している姿が見られました。   これが観音堂。すると右側の欄干に注目。
   
日光東照宮ばりの「眠り猫」です。ただし、こちらは本物の猫。   なにやら気持ちよさそうに私たちを出迎えてくれました。なんだか、ポッと温かい気持ちにさせてくれるお寺でした。・・・・住職。





◎久々の霊場詣り。総走行キロは、300kmでした。29,4,21

   
   
以前に息子が小学生の頃に訪れたあと、ご無沙汰だった「千葉寺観音」から、銚子の「納めの寺 満願寺」。今日はその時と同じルートで、女房殿のにもきつさを味わって、もらいましょう。  朝、8時30分千葉寺に到着し、早速、お参りをする。ケヤキ、銀杏が以前と同じように迎えてくれる。また、上の写真のように、結構庭の手入れが行き届き、お掃除する人も何人か雇っているようである。 
   
 このようにボタンも咲き、楽しめました。  毎日、お参りしている3人の仲良し。「桜が咲いているとき、散っているときは、きれいだったよ。」とお話ししてくださいました。
   
本日2軒目。成田市「滑川観音」28番になります。千葉寺を出てから下道をひたすら渋滞にはまりながら、のろのろ走って、3時間です。この場所で、立ちゴケをしてしまいました。   天女の欄間が迎えてくれます。
   
立ちゴケの原因は、これ。気の切ったあとが、1m位陥没してへこんでいることに気づかなかったのです。  滑川観音から更に下道を3時間ほど走って、銚子の27番「円福寺」飯沼観音に到着。以前は、職員の方はいなかったのですが、今は、ここにも職員の方を配置。納経所に行かなくても、御朱印は頂けます。 
   
レアなのがこれ。ヒゲタ醤油の一斗缶。   反対側には、ヤマサ醤油の一斗缶。
   納めの寺「満願寺」には、4時に到着です。前科に息子の時より1時間30分ほど速かったのですが、でた時刻が違うだけで、やっぱりかかる時間はおんなじです。最後の〆はこの寺。やっぱり華やぐ気分です。円福寺の「奥の院」として作られた寺です。中は、ご寄付された仏像がたくさんあり、信仰の深さがうかがえます。このあと、東京神田神保町まで所用があり走り、家には9時頃到着の肉体がヘロヘロの1日ではありました。これで千葉県は終了。このあとは、茨城か、埼玉に突入します。また・・・・・。住職。
   
 閻魔様とも出会えます。  とにかく、中は、お見せできませんが、素晴らしいです。
   
 ただいま、ご寄付を募集しています。1口「1億円」だそうです。お心のある方はお問い合わせを・・・。  近くには、銚子電鉄が走っているのが見えます。今回初めて、「鉄」と出会えました。

○今回は、新潟県に車で行く途中と帰る途中の旅。29,4,22〜4,24

   
新潟県南魚沼に行く途中、群馬県榛名山の麓にある、板東15番白岩山「長谷寺(ちょうこくじ)」に詣りました。  関越高速前橋インターから降りて30分くらい走ります。賑やかな町の中を抜け、のどかな田園風景の中にお寺があります。 
   
見事な彫刻のほどかされた唐破風の突き出し屋根の欄間。   役行者(えんのぎゃうじゃ)がの開基とされる、修験道 金峯山修験本宗という宗派である。
   
 「草刈りが大変でね・・・。」とお話ししてくださったご住職。外には、汗で濡れたであろう、作務衣が干してあった。  続いて16番水澤寺。桜が満開で、老若男女のカップルが大勢、楽しんでおられた。
   
 出店がたくさん出ていて、この駐車場を下がったところが本堂となる。  観音堂。
   
新潟で諸用を終え、山越えで群馬を通り、長野で一泊し、さらにそこから、上信越道、関越道を経由して、花園インターで降りる。そこからさらに1時間ほど、ぐねぐねと細い国道を越生方面にひた走り、板東9番。山の山腹にへばりつくように「慈光寺」がある。参道をシャガの花がずっと植えられてあり、下の方はこの通り、花をつけているが、山門が近づくにつれ、花がなくなる。  事実、この通り、花はない。それくらい標高差があるのである。 
   
本堂よりさらに歩いて登ったところに観音堂がある。悪さをする輩を防ぐために多くのセンサーが取り付けてあった。実際、本堂からそのくらい遠いのである。  古さを物語る絵馬がたくさんかけられていた。しかも、「馬」の奉納物まであった。古くからの信仰がうかがえる。88才のご住職がわざわざ出迎えてくれ、法話までしてくださった。写真を撮らさせれ頂けば良かった。お孫さんは、家の息子と同じ、高校3年生だそうだ。 
   
続いて、東松山市巌殿にある10番 巌殿山「正法寺」。入り鐘をつかせて頂きました。  奇しくも24日はお地蔵様の御縁日。境内のお地蔵様にも手を合わせました。 
   
ここで見るとわかりませんが、このお寺の背面には、大きな通りがありまして、まわりを大東文化大学が囲むようにあります。ここにたどり着くには、大学をぐると廻って車を走らせ、旧道からお寺の参道に向かいます。   この日の最後は、11番 岩殿山「安楽寺」。先ほどの巌殿山と字が違う、岩殿山。同じ東松山でもこちらは比企郡吉見町にある。通称「吉見観音」。夕方5時で拝観終了なので5分前に到着した。
   
本堂は、既に正面を残して観音扉が閉められており、ぎりぎりだった。  ここも、唐破風の突き出し屋根。 
   
 分解・色塗り直した仁王像が出迎えてくれた。  
   
 せっかく、東松山まで来たので、以前から、訪ねてみたいと思っていた、「大智寺」訪ねた。坂戸市にあり、先ほどの寺から15分ほどで到着。 この寺は、「生きる力」という、智山派の雑誌に住職婦人が寄稿しているお寺で、一度訪ねてみたい、と思っていた寺だ。ただ、ご挨拶するには時間が時間だし、気が引けるので、今回は、写真だけ、そっと撮らせて頂くことにした。 
   
「合掌」スタイルの耐震化をしてあるこのような形の本堂を初めて目にして、はっきり申し上げて「ビックリ」した。しかし、その内部をみるとよくよく考えられて作ったことが伺え、感心させられた。  機会があったら、お電話をしてから、手土産を持ち、正式に中を拝見してみたいと本気で思った、住職であった。29,5,16 

◎栃木編29,5,18
   
家を朝7時に出て、東北道をひた走り、板東17番出流山「満願寺」に到着。ここまでは土砂降りだったらしく、セメント工場あたりで、バイクはどろどろになった。しかし、観音様の御加護のせいか、我々は霧雨程度の雨で住んだ。   いつもの高山さん。お元気そうであった。奥に佐瀬さんもいらっしゃり、ご挨拶する。
   
出流山をあとに、山越えで星野、粟野を過ぎ壬生を通り、日光街道を経て中禅寺に向かう。途中、明智平でまた、霧雨が降り出した。寒い。  何とか霧雨もやみ、板東18番 日光山「中禅寺」に到着。 
   
立木観音を拝見する前に鐘撞き堂へ。   狭い階段を登り、釣り鐘の所へ。「思いを込めて突きましょう。」とある。突かせて頂きました。「皆さんが幸せになりますように!!」
   
「吉祥天」の特別開帳もしていました。   最後に板東19番「大谷観音」を参拝し、20番「西明寺」をめざして芳賀町までバイクを走らせましたが、益子町まであと15分であきらめました。本日、自宅に帰ってトータル500km走行です。疲れました。次回も、がんばって行きたいと思います。・・・住職。

◎スーパーカブで今回は茨城・栃木の残りの寺を巡りました。29,5,21
   
朝、家を6時にでて、国道16号をひた走り、途中、国道357号また、16号を経て柏市内から国道6号線に入り、茨城県に突入しました。2時間走って、8時に取手市内のミニストップで朝食のおにぎりを食べたところです。ここから土浦市内にある板東26番「清瀧寺」をめざします。  清瀧寺は、細い山道を登ったところにある寺で、大型バスでお見えになった方々は、団体でお参りをしているところでした。近くで鶯が良い声で泣いているのが印象的な寺でした。 
   
 御朱印所は、団体の方々の物で大賑わい。その間に先に御朱印を頂き有り難かったです。  続いて25番。筑波山「大御堂」に詣りました。その日は日曜で好天に恵まれたので、車もバスも大賑わいの筑波山でした。御朱印だけ頂き、ケーブルカーもロープウェイも私たちは、あきらめて、次の雨引山に向かうことにしました。
   
真壁町で。石の寸法でしょうか。不思議な言葉の看板でした。後方には、大きな仏様がいらっしゃいました。 雨引山について、キャリアの後方が下がっているのを発見。よく見ると、キャリアが1本根元から折れていました。泊まりがけで荷物を積んできたのに、不安がよぎります。どうしよう!!?? 
   
千年の樹齢のしだ椎。   階段を登って境内へ。
   
安産祈願・子育て祈願で、大安吉日そかも日曜日で好天となれば大勢の参拝客の雨引山「楽法寺」でありました。   お守りや祈願の申し込み、御朱印の方々でにぎあう納経所。
   
雨乞いをして雨が降ったという、マダラ鬼人(きじん)の踊り。ここに雨引山8あまびきさん)の由来がある。   一緒に記念写真を快く、応じてくれた。
   
前回、時間切れで間に合わなかった寺栃木県益子町にある20番「西明寺」へ。スーパーカブのガソリンが乏しくなってきたのと昼飯を食べるところを考えていたところで階段を登るのに足が重かった。   まずは本堂にお参りする。
   
脇にある焔魔堂。中が開いていてお参りができた。   十王の二人と閻魔。後方に地蔵菩薩。写真には写っていないが脱衣婆(だつえば)がいる。
   
一旦、家に戻ることを決意し、茨城県笠間市にある23番 佐白山「観世音寺(正福寺)」に到着。ここの入り口にはおいしいそば屋があるので、何とか間に合って13時30分頃に食す。バイクは、その手前のガソリンスタンドで入れることができ、そこでキャリアもひもで固定してもらい、何とか走れるようになった。  御朱印を頂き、お参りして、家路につくが、暑くて暑くて、これから先の道程が思いやられる。それでも来た道を引き返し、国道6号から柏市八千代市を経由16号をひた走り、20時過ぎには自宅にたどり着いた。翌日、佐竹寺・日輪寺をめざし、改めて車で出発することにする。日輪寺は、ちなみに茨城・栃木・福島の県境に位置する。
   
翌日22日(月)朝7時に家を出て、常磐道をひた走り那珂インターを出て常陸太田市に板東22番「佐竹寺」に着いた。ガソリンスタンドの少ないところが不安な場所。昭和の時代のガソリンスタンドで、満タンにしておく。

 
震災で壊れた仁王門を修繕したばかり。寄進者の名前が貼られていた。 
   
今回最後の寺、21番「日輪寺」にやっと着いた。車で細い山道を斜度もきつく、難所中の難所。途中で買った弁当をこの寺の東屋で頂く。   これは前回バイクで走った林道の入り口。ここはさらに道幅も狭く、舗装してない道が続く。
   
今回はご住職のお会いすることができた。やさしいお人柄であった。   観音堂と馬の置物。このあと、帰りは、また茨城県から栃木県大田原市方面に向かい、山中に入っていく。4号線から東北道矢板インターには入り、夜になって自宅に帰った。
   
とにかく、公共交通機関で来るには、厳しい寺であると共に、大型バスでも無理。ワゴンタクシーにでも乗り換えないと行けません。1月2月は閉鎖。雪があったら4駆でチェーンもあった方が良い。・・・・住職。   29,5,30 今回は、神奈川県の寺に参ります。鎌倉街道沿いの寺。1番「杉山寺」に詣ります。ここは街道沿い故に車の往来が多いのと駐車場がありません。バイクならではでバイク屋さんの近くにお願いして止めさせて頂きました。
   
 鎌倉といったら三方を山に囲まれた要塞。その通りで、鎌倉霊園のチア描くにあるくらいの寺なので、この階段です。 職員の方は、苔むした正面階段の草取りを一生懸命にしておいででした。 
   
お賽銭をバラバラバラ、と蒔いてお参りする。「良き音」を聞かせることが供養なのです。   年輪を重ねた本堂内部。
   
続いて、3番寺祇園山「安養寺」にお参りする。鎌倉市大町に狭い路地をくねくねと行ったところに街道に出てそこはあります。  吉祥院の山号額と同じ時代の物と思われる。
   
続いて訪れたのは2番 海雲山「岩殿寺」。逗子市久木にある寺。住宅街の細い路地の突き当たりにある寺。駐車場があったので助かった。   納経所にてお参りする。今回はこれで一旦帰る。
   
 別の日、6月16日。友引しかもお閻魔様の縁日に天気に恵まれ、朝6時に家を出て40kmはしり、金谷港に着く。ここから久里浜に渡り、鎌倉長谷寺に向かう。  船内は快適でアクアラインをカブは走ることが出来ないので、往復この船を使うこととなる。最終は久里浜港19:15なので、それまでに今回は間に合うように移動しなければならない。
   
 うっすらですが、天気も良いので、対岸の久里浜が見えます。出港は、7時20分。到着は、8時予定です。  三浦半島をひた走り、9時には、長谷寺に到着しました。4番寺 海光山「長谷寺」。
   
朝から校外学習の小学生や修学旅行生でいっぱいです。  前回は、11月に参っている寺、小田原市にある飯泉山「勝福寺」。前回は御朱印を重ねで頂いたので今回はきちんと2冊持ってお邪魔しました。この日は暑くて結構大変でした。到着したのは11時頃。ご住職さんとお話ししたのですが、楽しいお話でなかなか止まりませんでした。 
   
 これは境内にある二宮尊徳の像。  同じく7番寺 平塚市にある金目山「光明寺」にも詣りました。
   
 その後、せっかく来たのですから横浜経由川崎市にある川崎大師にて御朱印を頂きました。 大きな年に入ると信号が多く、渋滞もあり、1号線15号線とも大変混雑し、到着したのは15時過ぎでした。16時に出発し一路久里浜を目指します。 
   
久里浜到着18時。最終の一本前の18時20発のフェリーに間に合いました。   横須賀市内横浜市内の道も案の定、結構混んでいました。あとは、12番、埼玉県の岩槻の「慈恩寺」を残すのみです。29,6,22住職。

◎いよいよ結願。29,10,10さいたま市岩槻区「慈恩寺」へ
   
境内も広く、いろいろな建物が実はあります。   暑くて、暑くて、渋滞も結構途中ありました。
   
3本お足はこの顔です。結構、大きなもので、寄進した方々の名前がたくさん掘られていました。   お忙しそうだった御住職。大正大学に息子さんも通われているようです。私と同年代かな!?
   
献香台の全体像。もちろん女房殿と一緒に献香させていただきました。   お賓頭盧さんにも健康をお祈りしました。
   
   





●「坂東観音霊場」20,12,31巡拝開始。

  21,5,2 無事、結願致しました。
                 

鐘は「入り鐘」といって、お参りをする前に突くのがエチケットです。 六角堂みたいな塔。
第16番「水沢観音」からお参りを始めました。 明日を元旦に控え、静かな境内でした。
坂東は、いわば地元。いつでもいこうと思えばお参りが気軽にできるので、一番遠いところから始めようと考え、正月休みを利用して、「水沢観音」から始めた。上と横の写真は、15番寺「長谷寺」。長谷寺という名前のお寺はたくさんある。このお寺は、榛名山の麓のお寺である。坂東はどちらかというと、家族的な経営のお寺が今のところ多そうである。群馬県のお寺はこの2軒で終わりである。隣の彫り物は、「桃太郎」の昔話を掘った物だったので、おもしろいので、写真に納めた。21,1,4参拝。
30番高倉観音「高蔵寺」21,1,10参拝 銅板葺きの立派な観音堂を持つ。床板を今年新たに張り替えている。ご存じ木更津(地元)のお寺である。
吉祥院檀家の元木節子さんのご主人が貼った千社札。 本堂の正面は、この様に千社札がぎっしり。歴史を感じる。
昨年末の修繕が終わった33番寺「那古寺」である。結願寺であるが、銚子に「満願寺」があるので、その寺を納めの寺にするので、廻る都合上、この寺にも参ることにする。この様に高台から海を望むことのできる寺である。西国の2番寺「紀三井寺」もこの様に海を臨むところにあったのを思い出した。
宝塔の中にさらに赤い宝塔が入っているのだそうです。 観光客の説明されている、石川副住職。このお寺に私は、来月2月19日、上総第3教区の青年部の僧として、法要をしにお邪魔する予定です。
岬町にある32番寺「清水寺(きよみずでら)」京都と同じ読み方である。 吉祥院の閻魔様とはだいぶ形相が違います。
なぜか、赤穂浪士四十七士が飾られていました。 そして、なぜか赤い色をした釣り鐘です。
1月12日(月)成人の日だが、午後3時30分を過ぎて境内はとても静かな30番寺「千葉寺」 山門の外はすぐ県道大網線が走っている。
正面が本堂(観音堂)。 中を見ることができないくらい強固な作り。お賽銭も横一文字に切られているところから、落とすのみである。
樹齢千年と言われる銀杏の木。とても枝葉が入り組んでいて幹も太い。御神木という言葉がぴったり。うちの息子も感心して見ていた。帰ろうとするところに、着物を着たきれいどころが通りかかった。バイクのところで写真を、と言う言葉にポーズ。何でも踊りの稽古の帰りだそう。パソコンを扱う方がいらっしゃるとのことで、名刺をお渡しする。よかったら。今度は、うちのお寺にもいらしてくださいね。
  21,1,13・・・・・住職。
12番寺「慈恩寺」、21,1,21に訪ねた。埼玉県岩槻の住宅街の静かなたたずまいの中にあった。境内は広く鐘突き堂もあるが、なぜか、突き棒は外されていた。御住職のいた、寺務所が昔ながらの土間があり、ガラス戸もサッシではないところがとても趣があり、「いいなあ」と思った。ご近所の方々が熱心にお参りをしていた。
栃木県栃木市「出流山満願寺」の山門。ちなみにこの寺は、私が20才の頃、寒行で2月1日からから4月13日まで、前住職の「竹村教智師」(真言宗智山派の能化をされた方)に師事し、30年前に修行させていただいた寺です。 山門からこの様に赤い灯籠が延々と続いています。これは、当時たくさんのお参りに来た「講」という団体の方々、信者さんたちが布施した物です。
この階段を上がったところに、寺務所があります。 そして、このぼろぼろの建物が、当時、私たちが寝泊まりしていた僧坊です。今では物置としてまだ使われているようです。
その先に本堂があります。ここでは、毎日、祈祷護摩が焚かれていますが、昔ほどの人の姿は、今は残念ですがありません。当時は、成田山新勝寺のように、「別格本山」として「講」の方々の厚い信仰によって支えられていたのですが、「講」のリーダーたちも年齢がかさみ、組織としてだんだん成り立たなくなってきていることが関係しているようです。 しかし、この寺は、古くから、子宝に恵まれない人々が、この寺にお参りすると、子を授かるという言い伝えがあり、この写真は「奥の院」へと、続く道から本堂を写した物ですが、奥の院には、霊験あらたかな不動滝があったり、その奥の院の本尊が鍾乳石でできた「十一面観世音」のお姿をされていたり、長い年月でできた御利益がありそうなお姿なのである。もし、興味のある方は一度お参りをしてみてはいかが。ちなみに、うちの息子も、その霊験で授かったようです。21,1,21参拝。
山門の手前、二軒目の「そばや福松」。ここのそばが絶品なので紹介します。出流山に向かっていくと、何軒もそば屋が軒を重ねているのですが、某有名店にも入ったことがありますが、だめです。とても私の口には合う味ではありませんでした。 ここの店は、今のように出流のそばが有名になる前から、ひたすら同じように打っている店で、店は決して豪華ではありませんが、味は絶品です。ただ、残念なことに以前のように長い時間営業していませんので、昼時のみしか、食わせてもらえません。
そばの脇役には、もったいないくらいの、きれいな水で作られた手作りこんにゃくです。ショウガ醤油で食べなす。くせがなくて、これまた、絶品です。 平そばで、しかも、その日の分しか打ちません。喉ごしがうまい。たくさん食べる方には、1升とか、五合とか、大ざるで注文することもできます。お酒が好きな人には、どぶろく(濁り酒)があるときもあります。店主にご相談を。
東北道宇都宮インターを降りてしばらく車を走らせる。このあたりは、自転車アニメ「ス−ツケースを抱いた渡り鳥」の舞台になった場所で、この様に大谷石の奇岩が突然現れる。 ご覧の通り、大きな岩肌にお寺はあり、その岩肌に千手観音が彫刻されているのが本尊だ。そこに、19番寺「大谷観音」がある。それではどんなお姿かというと、撮影が堅く禁止されてるので、お見せできないのが残念だが、ガンダーラ美術のごとくの作品で、先に述べた映画の主人公もこの作品の中で出てくる「なんまいだーなんまいだー」と拝むシーンのあのご本尊である。
拝観料三百円。21,1,23参拝。 大谷観音の通りを挟んで反対側にある「平和観音」とてつもなく大きい。21,3,11参拝。
栃木県益子町。窯元の販売店の道をずっと奥に入っていくと農道の最果ての山の中腹に寺はある。 ひっそりとし寺の参道の階段を上っていく。
忽然と三重の塔が左側に現れ、山門をくぐった先に本堂が見えてくる。国の重要文化財になっており、境内には、他にも「閻魔堂」があった。閻魔の他にも十王と呼ばれている人が2人と「脱衣婆」と「地蔵菩薩」が中にいらっしゃった。本堂の大きさもかやぶきの屋根も見事で、住職は、寺の下のほうで病院を経営しているのだそうです。檀家はなく、参詣寺だそうです。20番寺「西明寺」21.1.23参拝。
この日最後の寺、茨城県桜田市 24番寺「雨引観音」 樹齢千年はあろうという「しだじい」の樹。
宝塔があったり、孔雀が放し飼いになっていたり、と華やかなお寺であるが、ここの境内から見える筑波山が一番よかった。 陽が落ちた17:00に本堂を参拝して帰路につく。
21,1,23参拝。
31番寺「笠森観音」前回、清水寺に行ったときには、夕方5時頃、笠森に到着したので、すでに参拝時間を過ぎてしまった。笠森の最終参拝に時間は、午後4時で終了です。ですから、西国の槙尾山ではありませんが、午後3時30には、遅くても山下の駐車場に着いていなければなりません。そこから10分くらい山を上がると、山門が見えてきます。
整備された階段を上っていく。 樹の洞穴があり、くぐると御利益があるそうな。
山門をくぐると観音堂が見えてくる。ところがこの観音堂が木製の長い階段を登らないと、本堂に着かないのである。 入り口からさらに左に折れ、階段を登っていく。この時点でもう、かなりの高さである。
お堂は岩山の上に建っているのだが、平安時代の創建で今から900年以上も前である。 本尊の逗子の周りは四天王で囲まれ守られている。また、阿弥陀如来、地蔵菩薩、薬師如来、不動明王など、他の仏像も見事である。21,3,15参拝。
茨城県編 21年4月7日(火)8日(水)
常磐自動主阿堂を土浦北インターで折り、畑の中の道を筑波山の方に向かったところにあるのが、 第26番寺南明山「清滝寺」である。バイクを駐車しようとしたところ、どこからか野良猫が現れた。立派な山門が出迎えてくれる。
坂東観音霊場の場合、なかなか梵鐘を突かせていただけない寺が多い中、ここは突かせていただけるのでありがたい。 本堂。納経所の職員の方は、土地柄の性か、のんびりしていて、コタツに入って時代劇を楽しんでおられた。
筑波山に向かい、登山道をしばらく行くと、ケーブルカーの乗り口につく。そこにあるのが第25番寺「大御堂」である。ちょうど桜が満開でとても美しかった。 昼だったので、近くの店で、女房は「つくばうどん」、私は、「カレーライス」を食べたのだが、カレーライスに軍配が上がった。この後、息子が学校から帰ってくるので、この日はこれで帰路についた。
4月8日(水)あらためて、残りの寺をまわるべく出発する。常磐道から北関東自動車道に入り友部インターで降りる。そこから笠間稲荷神社を目指してくると、道の反対側に第23番寺「観世音寺」がある。 ここも階段がある。しかも手作りの土道で、丸木の枠を使っている珍しい物である。
ちょっと見ると平屋根の神社風である。 本尊は十一面千手観音菩薩。
着いたのが家を出て二時間。ちょうど昼だったので、観世音寺入り口の脇に、そば屋を発見。「一茶庵」という名も月並みだし、それでも「手打ち」と書いてあったので、「腹に入ればまっいいか」位の気持ちで「ざる」を一枚注文する。 ところがどうしたことか、うまいのである。私にとって初めてはいる「一茶系」のそば屋だそうで、八百円のざる一枚で、結構、腹にもたまる。つゆも削り節がきいていてうまい。食べた後のそば湯も甘くてうまい。コップの水もくせがなくうまい。ひげ面の店主も(若いお姉ちゃん)も感じがよい。坂東でそば屋を紹介するのは二軒目だが、それくらいうまい店であった。「一見の価値あり」である。
観世音寺を後にし、県道を常陸太田市に向かって走ること約一時間。県道沿いに立派な山門が見えてくる。ここが第22番寺妙福山「佐竹寺」である。 佐竹寺は、常陸の豪族「佐竹氏」の祈願寺で、本尊の11面観音は花山法皇の勅願といわれる。山門の金剛力士像も見事な物であった。
渋い茅葺きの本堂。20年に1回、葺き替えるのだそう。 本堂の中には灯りもなく、真っ暗な中に本尊の姿がある。
納札もいっぱい。 本堂側から見る境内の様子。落ち着いたたたずまいで、県道横とは思えない。
県道31号線から28号線をひたすら走るのだが、ガソリンスタンドが1カ所もない。これには困った。もう走り始めてから1時間以上。メーターも220キロを超えてしまった。このままだと史上初めてのガス欠。  JAFを呼ばなければならないか、というところで出光のスタンドを発見。九死に一生を得る。案の定、このスタンドだけしか、この近所にはないそうで、ここは、八溝山入り口手前、福島県・茨城県・栃木県の県境に今、いるのである。 本当の道は通行止めの情報もスタンドの方から得、八溝山の頂上を目指す道を上っていく。ちなみに登山道(林道)を7kmくらい登っていかないと着かないそうである。道もうねっていて、木のかけらや落ち葉や落石でとても滑りやすいのはいうまでもなく、道幅は2mあるかないかだそうである。とても不安になる。
八溝山(やみぞさん)の図を見れば一目瞭然。てっぺん目指してうねった道。もちろんバスなんぞは上がることは出来ません。ワゴン車もぎりぎりかな、というくらいでした。 着いてみれば、本堂下には3日前に降った雪が溶けないで残っていました。
御住職は、息子さんが入学式ということで、職員の方が、優しく応対してくださいました。御住職も毎日上がってくるのだそうです。
本堂から境内を望む。雨雲が左からたれ込めてきて雷鳴が聞こえる。早く山を下りよう。 この後、来た道でなく、栃木県大田原市に林道で向かった方が近いとナビが指すので、向かうが、これがまた、八溝山と同じような道で大変だった。矢板インターチェンジより東北道に乗り、19時30分に家に着いた。次回は、埼玉県と日光中禅寺を目指す。・・・・21,4,8・・・住職。
21,4,10中善寺編
本堂上から見る「中禅寺湖」。まさか、湖の名前の由来が、この寺にあるとは露とも思いませんでした。中禅寺湖右側には男体山を望む。まだ、雪が残っている。「日本の道・百選」にも選ばれている、ご存じ「いろは坂」。私は何十年ぶりかで、ここを走りましたが、バイクでは初めてです。
外国の方がレンタカーで結構お見えになっているのにはびっくり。ただ、観光するより、みんな、ご自分で走りたいんですねえ。
明智平を過ぎ、しばらくして中善寺に到着。拝観料、五〇〇円を払う。駐車代金は無料。
立派な山門の中には、四天皇がちょっと違っていて
表は金剛力士像だが、内には、風神(上)雷神(下)がいらっしゃった。この地は雷が多いらしく、どうやら、それに関わりがあるらしい。
まずは納経所にて、御朱印をお願いする。お話を聞くと、ここの本尊は、立っている木を勝堂上人が、刀でそのまま生きているままに観音様を彫り、あった枝で千手を寄せて作ったそうな。だから、本尊の足下には、今だ、根っこが生えているのだそうです。 本尊を守る、持國天・増長天・広目天・多門天などの四天皇は、源頼朝が寄進したのだそうです。お堂は中に入り参拝でき、左下にある高台のお堂まで階段で続いて登っていくことが出来ます。上のお堂には、五大明王がまつられています。途中の階段にも壁にいろいろな物が掲げられており、見応えがあります。残念なことは撮影禁止になっていることです。
五大明王のいる拝殿。 「愛染桂」の舞台となった場所。後ろが愛染明王をまつっているお堂。手前の木が桂の木。
この姿は、私ではありません。熱心にお経を上げている巡礼の方。 拝殿横には、八溝山と同じように雪がまだ、たくさんありました。
浅草寺と弘明寺編 21,4,11
午前中の仕事を終えた後、子どもと共に、アクアライン高速バスで横浜に向かい、京浜急行で14番寺瑞応山「弘明寺」に向かいました。 駅を降りるとすぐ横に行くと弘明寺入り口となります。
本堂正面を写したところ、なぜか、光が入ってしまいました。 厄除け大師堂では、閻魔様と役行者(えんのぎょうじゃ)の像がまつられておりました。
こちらが役行者。 続いていったのが13番寺金龍山「浅草寺」。本堂で御朱印をいただくのでなく、影向堂というところで締め切り1分前で最後にいただくことが出来ました。
浅草寺の本堂は今、修繕の途中である。 ここから21,4,14埼玉〜長野の旅となる。10番寺「正法寺」。
山門には、ガラス張りの中に金剛力士王がいらっしゃった。 山門をくぐって長い階段を登る。この寺の近くは学園都市で、大東文化大学と山脇女子短大があるのだが、キャンパスがあるとは思えないほど階段の先には静かな境内が待っている。
昔の石を使った大きな灯籠。 観音堂。
水受けの中に桜の花びらが浮かんでいた。 鰐口の音がいい音だった。
すごい根っこの絡んだ銀杏の木だった。 1本の木から何本も幹が伸びて腕を広げている。
階段を登ったとの境内が思いのほか、広い。ちなみに左の道の横には大東文化大のキャンパスがあり、近い。 坂東では、数少ない真言宗智山派の寺である。
境内から見た山門。山門の先には参道がずっと真っ直ぐ続いているのがわかる。 続いて車を走らせること一時間。埼玉県比企郡に9番寺「慈光寺」がある。山道を登っていくと桜がまだ咲いているだけでなく、道の両側には、シャカの花の群生が見られる。
車道だけでなく、そこかしこにこの時期だけしか花をつけないのである。私は迎えられるように山道に車を走らせた。 駐車場に車を止めて、本堂に向かう道径にもシャカの花が咲いている。
「山門」というより、山と世間との入り口、境といった風の扉である。 慈光寺本堂、本尊は阿弥陀如来。御住職と名誉住職さんにお写真をたのんだが、体よく断られてしまった。ちなみに名誉住職さんは、この「本堂の屋根と山門を人のようにした方」、といえば当てはまると思う。
本堂から歩いて五分ほどの観音堂に向かう。 境内に行くには、また急な階段を登らなければいけない。
ここにもシャカが。 年季の入ったお堂であった。
空海お手書きの書を石に写し掘ってある物。 名誉住職さんたちの、「お手入れ」と「思い」がこの寺にはあふれてた。
続いて再度来た道を戻り、関越道・東松原インターを越え、11番寺「吉見観音」安楽寺に行く。
納経所は本堂横のこの屋根をくぐったところにあります。御住職は落ち葉掃きをしていました。 ツツジが花びらを広げようとしたところ。
御朱印をいただく。ここも数少ない真言宗智山派のお寺である。 本堂近くには牡丹の花が。
本堂にお参りをした後、いよいよ長野県「善光寺」に向かう。御住職に、小諸の先に、「北向観音」があるので、ここも行かれた方がよいですよ、と教えていただく。 「吉見観音」を後にし、関越道「東松原インター」を目指す。
ちょうど7年に1度の御開帳が5月31日まで開かれていました。角塔婆には、前本尊からつながった御手綱があり、皆、御利益にあやかろうと角塔婆をさわっておりました。 山門も特別公開をしていて、500円払うと中に上がることが出来ます。
私も500円を払って階段を上がることにしたのですが、写真はここまでしか許されません。上には、四国八十八ヶ所の観音様と、文殊様の周りに四天王が飾られた仏様がおりました。これは結構すごかったです。 参拝できるのは、この時期だけです。
雨が当日は降っていましたが、個人・団体の隔てなくたくさんの方々がお参りをしておりました。 21,4,14参拝。
翌日、21,4,15別所温泉に向かった。たまたま踏切を通りかかったところで、上田電鉄に出会った。車両は東急の少し前の型だ。 これは別所温泉駅に飾ってある「丸窓電車」。
着物姿の駅長さん。日帰り湯を紹介していただいた。
そして偶然、ここが「北向観音」のある場所だったのだ。なんだか、全然知らなかったのに、導かれるように、ここにお参りをすることになった。 中善寺にもあった、「愛染桂」の木。お話しはここで作られたのだそう。
「北向観音」鐘楼。突いたらいけません。 「北向観音」には、団体さんのお参りでいっぱいだった。
ここで御朱印を頂き、帰路につく。21,4,15住職 ここから神奈川編。1番寺「杉本寺」21,4,22参拝。
ここは、バス停は近いのだが、駐車場もなし、鎌倉霊園を過ぎ目印もなし、近くに看板もなしのナイナイづくしなのだ。御朱印を戴くだけで300円と入山料一人200円、御姿をたのむと3枚セットで600円、とお金だけはとにかくかかる寺であった。階段が下向きになっているのでを上がるときは疲れるし、降りるときは滑りそうで怖いし、人に優しくない。木々の手入れはよいけれど、人間の応対は感じがあまりよくない。寺廻りをしていて感じるのは、お参りする人に相対しているのに、相手の立場になってお話ししてくださる係の人がいる寺は、御利益がありそうに感じることである。また来たいなあ、と思うのだが、いくら歴史があるお寺でも、「こんな寺、御朱印を頂いたら、2度と来たくはないね。」と思う寺のどちらかである。残念ながら、杉本寺は、後者の寺であった。
続いて3番寺「安養院・田代寺」へ行った。ここは、杉本寺を過ぎ、鎌倉街道を逗子の方へ下ったところにある。駐車場も砂利ではあったが3台分のスペースもあり、外人向けの案内板もあった。非常に心配りのある寺である。ここは頼朝の妻「北条政子」の菩提寺でもある。御住職とご子息は、檀家総代の葬儀で留守であったが、奥様が優しくて丁寧に応対してくださった。「写真を撮りながら歩く会」の方々が私たち二人を写真に納めてくれたが、なんだか、しあわせて満ちあふれた寺のようである。
2番寺「岩殿寺」。ここは逗子駅の近くの住宅街の細い道を450mほど入ったところにあるのだが、わかりにくい。車は大きな物だときつい。駐車場は2台程度だったら止められる。 ここの寺も階段がきつい。この階段の先にさらに曲がってから階段がある。
御朱印所は階段の途中を左に折れたところにある。階段を登って水を一杯口に含んだらなんだかほっとした。そして下を見れば、この景色である。暑い日だったが、吹け上がりの風にすがすがしい気持ちになった。21,4,22参拝。・・・・住職。
21,4,23本日の最初の写真は、全長18mの路線バスからです。神奈川中央交通で国道129号線で遭遇しました。 とにかく、長い、でかい。幅もぎりぎりなのによく運転で着るなあ、というのが感想です。座間の星の谷観音へこれから行く途中です。
小田急線の踏切近くに、そのお寺はあった。8番寺 座間市「星谷寺」と書いて(しょうこくじ)と読ませる。境内はとても広く、大きな銀杏の木に囲まれたスペースだ。納経所は、観音堂左の山門をくぐり、オートロックがかかっている自宅のブザーをして、呼ばないと開けてもらえない。「駐車禁止3万円」の看板もたくさんはってあることから、非常にマナーの悪い人間が一杯いるところなのだろう。 住職の奥様が出てこられて、写真に収まってくださった。
こちらは住宅横にある本堂。 山門内側から観音堂を見る。
重要文化財の梵鐘、宝篋印(ほうきょういん)塔があったりと、歴史を感ずる寺であった。
昨日の岩殿寺でも出会ったお二人、福島から参っているのだそう。昨夜は箱根に泊まり、明日私が行く、小田原と平塚を回って、6番寺 厚木市「長谷寺」飯山観音でまた不思議とお会いした。 温泉街の入り口を抜けて、来るときに囲まれた参道となる。非常に御住職の心が行き届いた寺である。
このすばらしい岩ツツジ。桜の咲いていたときもきっときれいだったのだろう。 僕はこの顔、好きだな。
金剛力士像も作者によっていろいろである。 納札がこんなにはってある。
現住職は息子さんがやっておられるということで、前住職のお父上は、ひたすら掃除をされていた。手入れの行き届いた境内を見ていても心が洗われる。 写真では見えないが、遙か彼方には、湘南の海までも見えていた。21,4,23参拝。
5番寺小田原 勝福寺「飯泉観音」。ここも大きなお寺で、お寺をぐるっと回るよう仁バスが走っている。 山門横の入り口にある墓標?!なんて書いてあるのか読めません。
山門をくぐると観音堂。右に折れていくと本堂の山門が見えてくる。 ここは鐘をつけさせていただけました。
靴を脱ぎ、観音堂に上がってお参りします。 とてつもなく大きな銀杏の木。
こちらが本堂への山門。 こちらが本堂。
本堂の中では、「次男の嫁」さんが、法事の準備をされていました。ちなみに御朱印を頂いたのは、「長男の嫁」だそうです。家族でコンビを組んで、協力してお仕事をなさっているのですね。ちなみにこの方の母方の実家は袖ヶ浦の三黒だそうです。びっくり!!。このあと、小田原厚木道路を使い、7番寺 平塚市 光明寺「金目観音」に向かいます。
小田原厚木道路を平塚インターで降り、交差点を右に折れていくと川沿いに「金目観音」の看板が出てくる。 車だと通り沿いに止めるのは難しいが、バイクなら山門前でも止めることは出来る。大きなわらじが奉納されており、旅人の疲れをとってくれる気分になる。
うちのお寺と同じガスがおいてあった。線香も同じ料金で50円。 ここの梵鐘も突かせていただける。
このすばらしい景色の観音堂。登り旗が見事です。 左に折れると本堂への山門。
シャクナゲにはいろいろな種類の花があるそうで境内を彩っておりました。 また、観音堂横には、花々もあるのですが、「水琴窟(すいぎんくつ)」があり、この竹筒に耳を当てると水のしたたる音が反響して楽しませてくれました。御住職の遊び心がすてきな寺でした。21,4,24参拝。残りの寺は、鎌倉市長谷観音は27日に、香取の竜正院、銚子の円福寺飯沼観音、納めの満願寺については、5月の連休に行く予定。
21,4,27.アクアライン高速バスを使って横浜へまず行く。これからゴールデンウィークが始まるので、とっても混むのだが、今日は、谷間の月曜日。天気のも恵まれ、スイスイです。 横須賀線で鎌倉まで行き、江ノ電を使い「長谷」まで行く。
駅を降りて、しばらく歩くと4番寺「長谷寺」が見えてくる。まだ、時間が早かったせいか、修学旅行や、校外学習の生徒は少なかった。 庭がとてもきれいで、いろとりどりの花々が咲いていたが、写真を写し忘れるほど、楽しませてくれた。
おまけの写真。ついでに近くの大仏を見に行く。ここは、観光客も校外学習の子どもたちもたくさんいた。ただ、残念だったのが、写真を見てもわかるように、だいぶ大仏様のお姿が、傷んできたことである。後世に残すためにも、酸性雨から守ることを考えていかねばならないだろう。・・・・住職。 21,5,2 28番寺滑川山「龍正院」午前中の法事を終えたあと、いつものように息子をバイクの後ろに乗せ、東関道・富里インターから国道を経て到着。頭の上を国際線の大きなジェット機が降りてくる景色を横目で見ながらのお参りとなった。
個々のお寺は、重要文化財にもなっているこの大きな山門。これがちょっと変わっている。麻縄で太い縄をさらに編んで作った物に、なにやら植物がたくさんぶら下がっている。そのうえに、ひょろひょろが刺してある。境内も広く、庭も手入れがよくされている。朱印所のある阿弥陀堂横の庫裡に至るまで、奥様の優しい心が映し出されているようであった。
かなり大きな宝塔。 阿弥陀堂と御朱印所の入り口。
続いて27番寺「円福寺」この5月10日に開眼供養のある五重塔が道から目を引く。ここまでの道程が遠くて道は狭いし渋滞するしで2時間以上もかかってしまった。途中、利根川沿いは道も広くて気持ちよく走れるところも一部ある。しかし、問題は時間だ。やっとの事で寺を見つける。 ただし、本堂には人気がなし。お参りをすると、納経所は道から離れた別の場所にあることの張り紙が貼ってある。もうすぐ締め切り時間が迫っている。バイクに乗り込み、御朱印所に行く。わけを話し、「納めの寺・満願寺」に電話を入れていただく。ここからさらに4kmの犬吠埼に納めの寺はある。
納めの寺「満願寺」は、すべての札所の結願寺で、27番寺「円福寺」の奥の院に当たる寺だそうです。 「ちょっとまった!!」納めの寺「満願寺」の仁王像は迫力が違います。
浪切り不動尊。 仏足石の上を歩く
本堂正面。サザエ御殿風の建物。 入り口を入ると、閻魔様が出迎えてくれる。
各霊場のお砂場があり、各寺の本尊様がまつられている。ここは四国霊場の場。 反対側には坂東・西国などのお砂場がある。外には大きないろいろな観音様のお姿がある。
17:04。少し時間は過ぎたが、無事、御朱印を頂く。 何とも言えぬ、達成感。バンザイ。これからいよいよ四国へ参ります。西国、坂東の「先達(せんだつ)」となることが出来ました。お檀家様のためにもさらに邁進いたす所存です。四国でも、皆さまの幸せをお祈りして参ります。21,5,2・・・住職。