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吉祥院の紹介

・多聞山寶福寺吉祥院の開山は、伝え聞くところによると、江戸時代初頭と言われている。第1世の「覚仙和尚」に始まり、富士山が爆発した宝永年間に第7世「空源和尚」が在している。現在の本堂は、江戸時代後期・文化13年に本尊を再興記念に納めてあることから、その時に建立されたものだと考えられる。その後、昭和11年に第35世・「文器和尚」が拡張修繕し、現在に至っている。また、この山門は、第37世住職・義範和尚が墓地整理、境内整理をした折に平成に入り、再築した物である。


この山門をくぐり、一番最初に目につくのが向かって左側にある十三仏様である。亡くなってから一番最初の初七日供養でお世話になるお不動様に始まり、中央に大日如来、三十三回忌の虚空蔵菩薩様が一番左に住しています。生まれ歳による本尊様が決まっており、本尊様を捜す楽しみもございます。

・ここで問題です。刀を持った仏様がお二人います。それは、どの仏様でしょう。
・第2問です。お足の下に乗り物に乗っている仏様がお二人います。それは、どなたでしょう。
・第3問です。お一人だけ、住職と同じ髪型の仏様は、どなたでしょう。答えは、現地でお確かめ下さいね。

表参道の山門手前、左側には無縁仏様を守る観音様がいらっしゃいます。
観音様の地下には、跡継ぎの無くなった仏を散骨することもでき、永代供養もすることができます。
お位牌は、本堂脇室のお閻魔様のいる部屋で、住職が毎朝お経をお唱えしております。お考えの方は、住職までご相談下さい。




○ホットニュース:吉祥院の境内や墓地などいろいろなことを紹介します。






◎令和6年 今月のお言葉 12月遍





                          

今年も有名な方のお言葉よりご紹介させて頂きます。


西山浄土宗  管長

総本山 光明寺  法主 沢田教映 師   

 

  『順彼佛願故(じゅんぴ ぶつがん こ)』


・唐の僧:善導大師『観経琉』の一文より



師、曰く、

法然上人が比叡山で「誰でも救われる教え」を求め、

出遭われた一文。

同じ密教でも、真言密教と台密と言われる天台宗とは、

行の仕方もその教えも少し異なる部分があるやに思います。


これは、比叡山に行った時に、そこの職員の方にお聞きした

ことではありますが、有名な行に『千日回峰行』『12年籠山行』

などがあります。

どちらも大変厳しい修行で、『千日回峰行』などは、山や街の

決められた場所をそれこそ7年かけて歩き回り、

不動真言を唱える。そしてまた歩く。

これを繰り返していくのである。

1年目から3年目では、1日30kmの行程で100日間。

4年目と5年目は同様の修行を200日間。

五年間で700日の修行を達成した者は、

「堂入り」と言って、不眠・不休・断食・断水・不臥の九日間を

過ごし、ひたすら不動真言を唱えるのである。

6年目では行程60kmを100日間、

7年目では、同じ行程で200日間巡って満行となります。

千日回峰だけでもすごいのに「12年籠山行」ではお寺の堂に籠もり、

ひたすら延暦寺の中の「浄土院」という堂に「最澄」のために食事を作り、

堂を掃除して、1日3000回も「五体投地三礼」をし、仏さまのお姿が

見えるようになるまで、ひたすらやり続けるのだそうです。

これも不眠不休だそうです。指導する先生の元、

行うのでいい加減な行は出来ません。


それでは、何のためにこんなにも厳しい行を行うのでしょう。

結論は、ここにあります。

『自分のため』です。


念佛や法事は亡くなった人のため・家族のため・親族や愛している人のため

それも間違ってはいないのですが、帰ってくるところは、結局、自分の為なのです。

家族や先祖、誰かのためにする行い優しさは、『功徳』といって結局は、

最後に自分を高めるために行うものだと言えましょう。

そのことを、堂に入り書を読んだことによって気づき「法然」も悟りを開いたのでしょう。

行は違っても真言宗でも先にも述べましたが、私も19才と50歳の時に

2度の荒行をしております。

時間と体感は、行をすることによって、研ぎ澄まされたことに

間違いないと言えます。

また、自分は、どう生きていくのかということもそこで答えを得たものと

信じております。

これは、坊主だけでなく、誰でも出来ることでしょう。

念佛を致しましょう。機会があったら、ご法事を致しましょう。



あなたに出来ることから、私に出来ることから。


・・・・住職。





◎吉祥院「十夜報恩会」  6,11,13

令和6年11月9日【土】 15時開式

半鐘を行事の時には、第1鐘、第2鐘、第3鐘の順にならし、いよいよ入堂となります。 近隣の住職である三浦師は、体調を壊されて今年は、いらっしゃらないことになりました。急遽、この写真を撮っていてくれる女房殿も交えての施餓鬼会と同じく、吉祥院の3人の僧侶による「十夜報恩会」となりました。
入堂後、新仏施主様などの参加者に、本日の流れをご説明申し上げます、 来年の新仏である進藤様や秋田県の遠方よりお越しの和田様もご参加してくださいました。
私の衣体は、横被(おおひ)も今年はまとい、いつものように七条袈裟を身にまとわせて法要に参加致しました。 弟子の義輝が登壇したあとの衣と袈裟を丁寧に整えてくれます。
本尊前で読経及び、私は多くの仏様に不動法にて本日の供養が各々の仏さまに通じるように祈願を致します。お施主様は静かにその時を待ちます。 本尊前法要が終了し、私も下座し、場を変え、これより新仏様の「諷誦文(ふうじゅもん)」を各々読みあげ、各々の「諷誦銭(ふじせん)」をあげて下さった方々のお名前を順に読みあげて参ります。
お名前が呼ばれた方々が順に焼香をして参ります。その間、僧侶は光明真言を唱え、木魚師の女房棒殿は、木魚を打ちながら、お経を唱えています。
   
   
 新仏様だけでなく、個人のお戒名を呼び、供養をお願いされた方々は、そのお名前が呼ばれる毎に、供養を願い、お焼香をして差し上げます。  今年は、女房殿の両親も新仏となりましたので、御供養のために、父親の時には、女房殿が、母親の時には、供養の為に、「諷誦文(ふうじゅもん)を読みあげさせて頂きました後に、焼香を致しました。
   
法要が終わり、私が説法・御法話をさせて頂きました。今年の内容は、どんなにいろいろなことがあったにせよ、今、自分がここにいる存在することが出来るのは、苦労をしてきたであろう、父母(ふも)が会ったからこそ、また、時代が違ったにせよ苦労を重ねても、子孫を残してきてくださったご先祖様たちのお陰であること。その苦労に思いをはせるこの出来ることの大切さを鑑みましょう、と言うようなお話をさせて頂きました。    この「吉祥院」十夜報恩会は、多くの方々の温かいお心でお亡くなりになった方々を偲び、死者への小遣い銭と言われる「諷誦銭(ふうじゅせん)」で僧侶に「諷誦文(ふうじゅもん)」を読んで頂くという行事であります。この心優しい行事が、この後も何年も続きますよう、心から願う次第であります。
 私に出来ることから。あなたに出来ることから・・・。 合掌。
   
   
   
 
   
   
   
   
   
   




◎古塔婆による「お焚き上げ不動明王」護摩供養。

 令和6年7月31日(水)午前9時より勤修致しました。





今年もお焚き上げの準備が完了致しました。夏は冬の役3分の1程度の本数の塔婆です。 朝、9時になり、いよいよ入場です。私の装束は夏仕様です。
風は1m。北風。まずまずのお焚き上げ日よりです。 来訪者にお清めの散杖にてお祓いをさせて頂きます。
錫杖経を唱えます。 表白文を読みあげます。
慈九の字を切る 火入れします。
人々の方々の幸せと願い事がかなうよう桧扇で扇ぎ、真言を唱えます。 煙が立ち始めました。
白い煙がもくもくと出始めました。火もたち始めました。天辺には、多くの杉の葉が浄めるためにおかれてあります。 風がないので火が真っ直ぐに燃え上がりました。
火が全体に回り、いよいよ勢いが増してきました。 その間にも我々は、観音経や般若心経など読経を続け、息子の義輝は太鼓をたたきながら読経をしています。
祈祷札を光明真言を唱えながら炙りに参ります。 容赦なく熱い、熱い、熱風が私に戦いを挑みます。
札をあぶり終えた後も、願いが叶いますようにと、たくさんの仏様の御真言を唱えて詣ります。 4本の結界の竹も熱の熱さで折れ曲がる程です。
火の勢いを増し、いよいよ護摩壇が崩れ始めました。 完全に護摩壇が崩れました。
そして壇は崩れ落ち、いよいよ終焉です。 終わりの御真言を唱えます。
三礼を致します。 来訪者へ、御法話をさせて頂きました。
   
 お一人ずつ、希望された方々に祈祷札をお配り致します。  護摩壇は、完全に灰と化しました。
   
 ご家族でおいでになったT.T.様、ご家族様。  8月17日(土)の「施餓鬼供養」の時にもお待ちしております。



























◎令和5年 吉祥院「施餓鬼会」

  令和5年8月19日【土】
実施致しました。

施餓鬼塔婆のお渡しは、吉祥院便りに書かせて頂いたように

午後1時より各地区ごとにお名前を呼ばせて頂き、

本堂前にてお渡し致しました。

下の写真は、本年の様子です。

















◎『阿字観』ににいらした方々  令和3年7月25日(日)

   
市内在住のK.Y.さんとSちゃん親子。お電話頂き、阿字観体験と相成りました。   ご覧のように仲良くお二人で参加です。
   
いつものように、「五体投地三礼(ごたいとうちさんらい)」から伝授致しました。   五体投地三礼とは、頭・右腕・左腕・右足・左足を地面につけ仏様の御加護を得るお辞儀のことです。
   
 その後で「呼吸法」で伝授致しました。  大きく息を吸って吐き出している図です。
   
きれいな身体を得てから,座禅の座り方を練習致します。「半伽座(はんかざ)」お二人とも大変上手に出来ておいででした。   そしてお二人で阿字観体験の本番と相成りました。また。いつでも「吉祥院」へお越し下さいませ。・・・・住職。



・平成29年に「阿字観」においでになった方々。
   
   
阿字観について説明する。   三礼(さんらい)をお授けする。
   
 呼吸法の伝授(上)・阿字観瞑想中(下)  これから阿字観に入る。(上)・下の写真は阿字観を終了しての感想をお聞きする。あっという間の瞑想時間20分でした。
   
平成29年8月2日(水)   
 三礼をお授けする。まずは、中学生2人に。  お父さんにも途中からお入り頂く。
   
   
 
 座禅の座り方を伝授する。  呼吸法を説明させて頂く。
   
 悪い空気をはき出し、良い空気を取り入れる。  阿字観に入る。
   
   阿字観を終えて記念写真。


・29,8,11御来院。東京より御来院のS様他3名様。


   
 突然のお電話をいただいての御来院でしたが、夕方からでも、この日は予定がありませんでしたので、お申し込みをお受けすることに致しました。何しろ、とてもお電話の声が丁寧で、お若そうな声でも信頼できそうなお人柄が感じられた、ことが理由です。 お会いしてみると電話の声のようにやはり、まじめな若者で、「ああ.これからの日本を牽引していくようなお方たちだな。」と印象を持ちました。 
   
いつものように、「五体投地三礼(ごたいとうちさんらい)」から伝授いたしました。   手のひらを上に上げているのは、「仏足頂礼」仏様のお足を載せて頂く意味です。そしてお力を頂くことから由来します。
   
いつものように呼吸法を伝授。鼻から吸って口からはく。これを何度か繰り返す。  今度は、「猫のポーズ」でもっと深いところから悪い空気をはき出させる。 
   
その後、鼻から吸って鼻から吐くことを繰り返し、座禅の座り方を伝授する。   夕刻からでしたので、いつもと違って、最初は、蛍光灯の明かりをともしてあった物からろうそくの明かりに変え、深く、瞑想に入っていくことが出来るようにする。
   
最初は、こんなにも明るいのです。   「阿字観」を終えた後、御本尊に報告のお経を唱え、各々、焼香をしてこれからの幸せを祈願して頂く。ちなみに、彼らは、初めてお焼香を経験するそうなので、意味とやり方も伝授いたしました。この後、茨城まで今夜の宿を取ってあるそうなので、安全祈願も兼ね、お経を読ませて頂きました。また、ぜひ、御来院下さいませ。・・・住職。
   
   

・鴨川市より御来院の杉浦ご夫妻 29,8,17

   
サッカーとバレーボールをこよなく愛するご夫婦。   早速、五体投地三礼の練習から。
   
 奥様の体が柔らかい動きをしていました。。  仏足頂礼。
   
   
   
 呼吸法の、猫のポーズ。  座り方の「半伽座」。
   
 ご主人様もだんだん柔らかくなってきて、このポーズ。バランスが良くなってまいりました。  「阿字観」に入る。
   
瞑想中。   あっという間の一時間三十分。




   
変わりまして、平成26年4月5日(土)長島看板店さんが来院し、以前からお願いしていた「四国88ヶ所霊場」46番寺「浄瑠璃寺」から分けていただいた「魂の転生」の看板建立工事にきてくださりました。  場所は、山門右横です。 
   
手前には、十三仏様がいるところです。   人が亡くなって魂はどのように旅をして磨かれていくのか、仏様のお力をどのようにいただいていくのかなど、来院の際は、ぜひ、一読ください。・・・住職。








◎「結婚の儀」滞りなく終了いたしました。 26,3,17


・・「結婚式」ご希望の方がおりましたら、ご相談ください。


・3月16日()午前10時より、吉祥院本堂にてお檀家様の結婚式が執り行われました。
 新郎は高須の竹内峰吉さん。新婦は江川の山田恵さんです。竹内さんのお母様が3年前に他界し、その母様への報告も兼ねて吉祥院本堂にて結婚式を挙げたい旨、ご相談が昨年末にありました。私は快諾し、細やかな準備を重ねて、馬来田の「大善院」のご住職、佐藤朋祥 師にもお手伝いいただき、執り行われました。お二人の永久の幸せをお祈りいたしております。・・・・・住職。

竹内家のお父さんと新郎のお姉さん。また、山田家からは新婦のお母さんと弟さんが両家の代表席にお座りいただきました。 手前が新郎の峰吉さん、その隣に新婦の恵さんが座ります。その奥には両家のお列席の方々です。
これから式が始まるので新婦の緊張をちょっと解いて差し上げました。 洒水器(しゃすいき)の水で散杖(さんじょう)を使い、お清めをします。
「指輪」の交換。 「数珠の参与」並びに「三帰礼文」を全員で唱える。
「益事(三・三・九度)」 「誓いの言葉」
   
 壇徒総代・粕谷昌之氏のお祝いの言葉  両家を代表して新郎のお姉さんの夫、山本康幸氏のお礼のご挨拶をちょうだいいたしました。
   
   
   
 お手伝いいただいた、馬来田の「大善院」ご住職。佐藤朋祥 師。ご本人も昨年末に御自坊で仏前結婚したばかりです。
   
   
   
   

◎「幸せの鈴」をお手綱に二つつけさせていただきました。


 
 

・鈴の大きさは3寸。皆さまのお参りをお待ちしております。

吉祥院のホームページに載っている内容、歴史等を山門脇に掲げさせて頂きました。
「うすさま明王堂」前に「表白文」「使用約款」を掲示させていただきました。「表白文」は開眼当日に実際にご宝前に私が詠ませて頂いたものを忠実に、掲げさせて頂いてあります。表白文の内容については、・・・・実際にお読み下さい。
境内から壇信徒用トイレがどこにあるかわかるように掲示させて頂きました。
「うすさま明王堂」の寄進者名簿完成しました。 その横には、これからまだ、協力いただける方々の札も用意させていただいております。お待ちしております。
本堂が昭和11年に建ったのだと思っていましたが、昭和11年にはどうやら大きな修理をしたようです。ということはいつ、建ったのでしょうか。 これは、元・昭和小学校校長 若林氏から寄贈していただいたもの。氏は、江戸時代の浮世絵が好きで集めていらっしゃる。閻魔様の前に飾らせていただきます。東海道53次、日本橋の図。きっとこの頃閻魔様が作られたのでしょう。閻魔様は天保15年東京本所で作られました。
これは本堂正面の龍の彫り物。先日裏書きを見てみたら・・・・。 なんとこれも天保15年作。閻魔様と同じ年である。ちなみに、本尊はそれより何年か前の文化13年作である。それを考えていくと、吉祥院の本堂は、どちらかの時代に作られた物を昭和11年に大修繕を行ったものと考えるのが必然ではないか。・・・住職。


















◎「願い事」、叶うといいですね。



 
・観世音菩薩・延命地蔵菩薩 、

 交通安全地蔵菩薩、本尊毘沙門天等  


 奉納旗、1本4千円です
 ご先祖様の供養のため、皆さまの願い事をお願いする良い機会となりますので、ぜひ、この機会をご活用ください。
「ご法事」の会場について
ご法事では、椅子席の上に、この様に、袈裟と勤行式がおかれております。
法事の会場では、この様に椅子席でお座りいただけます。最大40名はお入りいただけますが新型コロナウイルス対策の関係で人数を減らしての対応となっております。
法事の場合には、必ず人数をお知らせください。
(場合によっては、ご希望の人数での対応ができない場合がございます。)
住職。