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今年も、感染対策のために新仏様のお施主様を中心に参加頂きました。椅子もこのように余裕を持って準備させて頂きました。 |
本尊前の様子。昨年は、登壇いたしませんでしたが、今年は、登壇諸法致しました。 |
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お施主様達がお見えになってまいりました。この後、写真を撮ってくれている女房殿も、一緒に法要に参加するので、写真も限りがございますこと、お許し下さいませ。 |
入堂したあと、お施主様の皆様方に、本日の流れをご説明いたします。 |
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義輝の介助の元に、登壇いたします。本尊前の法要を始めます。 |
「諷誦文」を読みあげし、お施主様のお名前が呼ばれるとお焼香を致します。 |
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新仏の最後の行事となります。この後、先祖・諸精霊の「諷誦文」を読みあげて参ります。 |
その後、「諷誦」をあげてくださった方々のお名前をお呼びいたしまして、それを一霊ずつくり返し、法要は終了いたします。 |
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今年は、落語家さんがいらっしゃらないので、私が『良き音』となる、御法話をさせて頂きました。
今年、広島の江田島のお寺の住職さんから教えて頂いた、「倶會壱處(くえいっしょ)」という言葉です。「阿弥陀経」に出てくる経文だそうです。真言宗では、「阿弥陀陀羅尼(あみだだらに)」というお経がございます。それをを唱えさせて頂いております。 |
江田島の私が見て参りましたお墓には、そのほとんどがこの言葉が刻まれておりました。私のお寺の近所のお墓や京都でも見たことがございませんでした。段ボールでお墓の形を作り、それを具体的にお見せすることでイメージをわかせ、お話を進めて参りました。『私は先にあの世に逝ってしまうが、高いところから、残された皆さんのことを見守っているよ。』『あなたは先に逝ってしまうけれど、私もいつかはまた、あなたの所に行くからそれまで見守って頂戴ね。』そのような愛情ある言葉なのだそうです。お施主様にとって、立場こそ、それぞれ、違いますが、皆、愛する方々を失った悲しみがございます。その新仏の最後の行事として、この御法話をさせて頂き、『十夜報恩会』を閉じさせて頂きました。・・・住職。 |