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本尊紹介  

吉祥院の本尊は「毘沙門天」別名を「多聞天」といいます。北方を護る仏とされ、日本の七福神信仰の一つとされています。安置形態は様々ですが、吉祥院の場合は、「吉祥天女」「善膩師童子」を脇侍とする三尊形式となっており、京都の鞍馬寺や高知の雪渓寺などと同じであります。
また、毘沙門天は、「戦いの神」とされ、戦国時代、上杉謙信の信仰厚く、『毘』の旗印にもされております。そのことから勝負事にも大変ご利益があるとされ、古くから信仰されてきております。また、吉祥院の場合は、三尊形式ですので、毘沙門天を『父』、吉祥天女を『母』、善膩師童子を『子』と言われ、家庭円満・商売繁盛にも御利益があると言えましょう。



本尊「毘沙門天・吉祥天・善膩師童子 三尊」のお参りの仕方
本尊様の宝物を持った左手から、ずっと五色の糸が続いてこのように太いお手綱を結んであります。 このぶら下げてある部分を軽く引いていただきますと、結んである鈴の音がなります。
まず、お賽銭を賽銭箱に投げ入れたあと、御手綱を引き、献香台の横にある鉦鼓(しょうこ)という鐘をカンカンとならしてから、お手を会わせ、願い事を唱えお参りします。 皆様の願い事が叶いますように、心よりお祈りいたしております。
このように、宝物を持ったほうのお手とつなぎ、皆様へ、幸せをもたらすよう、間接的に握手をしていただいているわけです。 本堂右側にはってあります説明書。
 20.8.20・・・・・・・・住職。




○修繕にだす前の本尊様
両腕のない毘沙門天像です。初めて公開します。平成20年4月17日(木)、本日、お閻魔様の修繕をお願いした天倶屋さんに依頼して、名古屋へ修繕の御旅立ちになりました。今回の旅立ちは、両腕の復元です。細かな修繕をするところはたくさんありますが、それはまた、別の機会に旅立っていただこうと思っています。後日、公開予定。できあがりのお姿をお楽しみに。 今回の修繕に当たり、台座下の墨書きから、お閻魔様の時のように作られた時代と今回は奉納者がわかりました。
平成20年6月5日にお帰りになられた、本尊「毘沙門天」。上の写真と見比べていただくと腕の様子がご覧いただけるかと思います。今回の目的は、腕の復元ですので、お体を極彩色での復元は行っておりません。あくまでも「お護摩」でたかれて黒光りしている状態での復元となります。 後ろから、近くでストロボ撮影を行うと、以前は極彩色だった面影が、色で現れて見えています。皆様に幸せが訪れるよう願い、本尊様の手を五色の糸でお外の境内まで結んで、その五色の糸を持っていただくことでご本尊様と握手をしていただけます。たくさんの方のお参りをお待ちしております。・・・・住職。

上の写真左は吉祥院の毘沙門天三尊で左から「善膩師童子」「毘沙門天」「吉祥天女」で逗子の中に三尊形式で収められています。前住職まで秘仏で公開されていなかったものをお参りされた方にはご覧いただけるよう、現在は「毎日がご開帳」です。上の段右は、前本尊の青銅製の「毘沙門天」、下の段左は、真言宗中興の祖「興教大師」右は真言宗開祖「弘法大師」空海です。


下の写真は、山形のかみのやま温泉の下大湯の近くにある「観音寺」の毘沙門天です。吉祥院の毘沙門天との違いは、火を三つ背負っているところが違っています。2月の末に山形に出張した折りに、写真を撮らせていただきました。 

「観音寺」は下大湯の脇の階段を上ったところにあります。


法隆寺「毘沙門天」復元像及び「吉祥天」復元像

法隆寺金堂にある多聞天(毘沙門天)を作成した頃と同じように復元彩色した仏像。吉祥院の本尊とは、だいぶ様相が違っている。 同じく復元された吉祥天像。作られた時代や作者の作風によって、だいぶお姿に違いがある。はっきり言って、結構ふくよかなお姿である。