みなさまの心のふるさとにようこそ 本文へジャンプ


◎吉祥院・喜光院 本山合同団参
28,4,2〜3

   
 颯爽と登場。ベテランバスガイドさん「案内はおまかせ〜。」  「安全に時間通りに目的地までご案内します。」と運転手さん。よろしくお願いします。
   
おろしたての超大型・新型「三菱ふそう」のバス。1台65,000,000円なり。ロング&ハイデッカー。しかもサロンにもなります。すばらしいバスを用意してくださいました。(株)IBS観光バス。後方は、いつもお世話になってます。(株)BS観光の杉山さん。  中は快適。ちなみにTVモニターも大型が3台もついています。 
   
今日の景色は、どこも桜が満開です。   京都もすごい人出とか。
   
案の定、京都東インターから平安神宮まで1時間かかってしまい、人と車で身動きができない位の人出でした。東大路通りでバスを降り、このように宮川町まで京都人を気取り、歩くことができました。   なかなか、こんな経験もないと思いますよ。このあとは、歌舞練場で「京おどり」を拝見します。その前に舞妓さんのたてたお抹茶とおまんじゅうを頂きます。
   
64回「京おどり」のパンフレット。   
   
   
   
彼女たちは、お抹茶券付きの方たちのみ、お茶を目の前で点ててくれるのです。すごいでしょ。  このようなきれいな舞妓さん芸子さんたちの舞と地方さんによる包みや三味線が演奏されるわけであります。 
   
終わったあと、皆さんと記念写真を撮りました。ああ、ここに一緒に舞妓さんたちがいてくれたらなあ、と誰もが思ったに違いありません。  このあと、今宵の宿「真言宗智山派本山智積院会館」へと向かいました。、 
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夕食のあとは自由行動となりまして高瀬川の桜を楽しんだり、京都えっきしゅうへんに行かれたりと各々楽しまれたようです。さて、こちらはその翌日、朝5時です。これから金堂地下での写経に行く前、集合の図です。   まだ、世も完全には明けきれていない5時15分、山内の勝因の案内のもと、外に出ます。
   
金堂地下はこのようにコンクリートの上に緋毛氈が敷き詰められています。   「十善戒」という私たちが生きる上で守らねばならない十の仏の教えを書き写していきます。
   
 本山職員の指導の下、呼吸を整えてから書き写します。  その後、上にある本堂に上がり「南無大師遍照金剛とお唱えしながら」朝のお勤めを待ちます。、
   
  山内の僧侶が入堂し小峰猊下を待ちます。 
   
 小峰猊下執式のもと、朝のお勤めが始まりました。 その後、金堂前にて記念写真。 
   
  続いて護摩堂に移り、ご祈祷をしていただきます。 
   
名称庭園の拝観。   お茶を頂きながら説明を受けます。
   
   智積院の桜も見事なものでした。(義輝)
   
 そして私。  女房殿は、東寺の桜の下で。
   
粕谷総代は、京都タワーで。   ここで昼食を頂きました。
   
 そして楽しんだ京都sないともお別れです。  
   
   











◎四国88カ所霊場巡拝


お遍路(香川県 結願)高野山(お礼参り)

27,4,2から27,4,5まで

   
今年もお世話になりました。東交バスの運転手さんとガイドさん。安全運転と正確なハンドルさばき、豊富な知識で私たちを眠らせませんでした?   最初の寺は高松飛行場の近くで83番「一宮寺」から。
   
 天気に恵まれ、しだれ桜の花もほぼ、満開です。  息子が頭を入れているのは、地獄の釜の音が聞こえる「ほこら」。心がけの悪い人が頭を入れると抜けなくなると言われる伝説が・・・・。うっ、ぬぬ抜けない!なんてことはありませんでしたよ。
   
こういう「ほこら」です。   境内の周りにはソメイヨシノ初め、いろいろな桜が植えてあり、私たちを楽しませてくれました。
   
 このお墓が桃太郎伝説のお墓。桃太郎のお姉さんと叔母さんと叔父さんのお墓といわれているそうです。  昨年、1200年後恩義で四国のお寺は、いろいろな所できれいになっております。
   
次に訪ねたのが70番「本山寺」。馬頭観音を本尊とするのはこの寺だけだそうです。   後ろに見えるのが弘法大師が建立したとされる五重塔。
   
   本堂は国宝です。
   
 仁王門は重要文化財となっています。  息子が移っているこの赤い階段は、前回来たときに登ったものです。今回は、使うことがありませんでした。後で説明致します。この階段には本当に苦しめられてきました。
   
納経所でもある大師堂に続くこの階段のあるところまで、なんと、マイクロバスで来ることができるようになっていたのです。   ここから本堂までは、以前のように階段を使うのですが、ここまでの苦しみがないのですから、へっちゃらです。
   
   
 71番「弥谷(いやだに)寺」本堂。  ここまでバスが来て、ここからマイクロバスに乗り換えができます。この建物も新しくでき、休憩所となっています。
   
   
   
マイクロバスも2台でピストン輸送をしてくれます。ありがたや、ありがたや。  79番「高照院」久々のこのお寺。鳥居が赤くきれいに塗り直されていました。崇徳天皇の遺体が仮安置された寺。 
   
81番「白峰寺」も崇徳天皇ゆかりの寺だそうで廟所があるそうです。   
   
78番「郷照寺」高台にある寺。ここの寺の麓に、「橋地蔵餅本舗」があり、おはぎ、塩餅、草餅が売っており名物。何回か来ているのに初めてこの餅を皆さんで食べました。抜群にうまい。 77番「道骼宦v山門
   
本堂   弁財天
   
 76番「金倉寺(こんぞうじ)」  乃木将軍を心配して訪ねてきた奥さんを「女・子どもが来る場所でない」と追い返した場所の松。
   
一日目の宿泊所「善通寺」大師堂。ここで朝のお勤めにも参加しました。   こちらは本堂。この中で納経を致しました。
   
本堂は土足で入ることができます。   その後、木造の五重の塔の前で記念撮影。
 
大師堂前   一心にお祈りする永嶌先生。
   
 運転手さんとバスガイドさんとBS杉山さんと「やっと一日終わったねえ。」って感じかな???  二日目。73番「出釈迦寺(しゅっしゃかじ)あの山の頂上付近からお大師様が跳び降りたのだそうです。まだ、お役があるのだと、お釈迦様が現れて手でお救いになったのだそうです。」
   
高台の景色の良い寺。   桜もきれい。
   
すぐ近くの72番「曼荼羅寺」   毘沙門天のいる74番「甲山寺」
   
 80番「国分寺」山門  本堂
   
81番「白峯寺」ここが終わるとお昼。   高台の五色台といわれる山の上にある寺。この寺に崇徳天皇の廟所がある。
   
お昼を食べた後、雨降りとなりました。ここは、82番「根香寺(ねごろじ)」   正和さんも準備よくなれたものでカッパの用意。
   
カメラを向けるは雅美さん。   本堂前
   
この後、84番「屋島寺」にも参りましたが、いつものように「御利益」を感じられない事があったので写真はなし。  85番「屋栗寺」も気分が悪く残念ながらこの写真のみ。 
   
   86番「志度寺」ここは、何度行っても幸せな寺。ここの五重塔も歴史あるものです。
   
「志度寺」本堂。凡薗子(おおしのそのこ)なる尼が志度の浦に漂着した檜の霊木を草庵に持ち帰ると「閻魔大王」の化身が現れてその霊木で
十一面観世音菩薩を彫像して姿を消した。これを補陀洛山(志度寺)の観音と感得し小さな堂をたて安置したのが始まりとされる。 
 大師堂
   
87番「長尾寺」残念なのは、本日はこの寺で終わりなのと接待されたおいしいお菓子が土日しかやっていないこと。   
   
 屋根裏部屋のこの扉が開いてお餅がばらまかれるのだそう。 長尾寺本堂 
   
この後、2日目のお宿「花樹海」に移動する。桜の見える宴会場で、明日の満願を前に前夜祭をする。皆さんここまでよく頑張りました。下の写真は、朝ご飯を善通寺で食べた後、9時30分過ぎに訪ねた丸亀町「中村うどん」店。セルフ式のうどん店を経験してもらいました。私はおかわりして2杯食べたのは堅くありません。   
   
   
   
   
いよいよ香川県最終日。88番「大窪寺」最後の階段を皆さん登ります。  全員で記念写真。シャッターを押すのはこの場もお借りしたプロカメラマンです。この後、徳島港からフェリーで和歌山港へ渡ります。 
   
和歌山港を出て、途中、橋本付近で休憩するところに寄るとバスだらけ。どうやら高野山は混雑しているようです。   高野山到着。バスはこの後、別の駐車場へ移動します。そうでないとこの高野山入り口に他のバスがお客さんをおろすことができないから。つまり、それくらい混んでいます。
   
横断歩道を渡り、いよいよ「奥の院」に向けて歩き始めます。   入り口で皆さん手と口をを清めます。
   
有名な墓所を見ながら奥の院手前にて記念写真。奥では、これから御練りの後、法要が始まるところです。時刻は、夕方4時頃。  遥か彼方に大勢の方々がお参りしています。この後は写真御法度なので、残念ながらカメラはここまで。 
   
宿坊「地蔵院」にて夕食。この広い広間に黙々と修行のように静かにご飯を食べる。   運転手さん、ガイドさん、BS杉山さんとて同じ事。
   
翌日、空海が建てたお寺「金剛峯寺」に詣る。  建物全体はこんな感じ。修行道場であり、寺務所でもある。 
   
今は使われていないそうだが、このように屋根の上には水をためる桶がいくつも設置されている。山の上に寺があるという故である。   
   
息子も、長年お役で着た笈づるに御朱印を押していただく。  「開山1200年」ということで記念御法話を職員の方々が順番でしておりました。 
   
ということで、皆さんお茶を頂きながらお話を伺っております。  以前使われていた釜戸。今は、特別なときだけ使うのだそうです。 
   
土間に設置してあるのではなく、床の上に作ってあるのがちょっと普通と違っていました。   場所変わって、宝塔です。この横に金堂があって、ご法事を今行っている最中です。 
   
豆粒みたいに見える人の大きさをご覧になると塔の大きさがわかるというもの。   その横にある金堂も善光寺くらい大きく感じます。
   
金堂正面から   ケーブルカーでこれより、山を下ります。
   
 高尾山より急角度のケーブルカー  この電車で、橋本まで下っていきます。
   
 結構おしゃれな特急電車も。  昔の車両と結構変わってきてモーターの強い車両でないと高野山は登れません。新しい車両が増えました。
   
   
待ち合わせの駅で美しい桜の樹と出会いました。   すれ違いは、特別車両の「天空」です。
   
橋本駅で待っていたバスに乗り換え、根来寺に向かう。  ここも桜の名所であるとともに、真言宗復興の師「覚ばん」興教大師のお造りになった寺である。 
   
 200年の歴史を持つ本堂。  大師堂と宝塔は、焼き討ちを逃れ建立当時の面影を残す。
   
 興教大師廟所。  喜光院を設計した方がお立てになったそうです。
   











 お遍路 愛媛・香川(一部)遍 26,5,2〜5,4


   
今回お世話になったのは、第1回と同じ、「東交バス」。香川県の会社です。 運転手さんもガイドさんも我々のことを気遣って丁寧な案内と運転を心がけてくださいました。 お世話になりました。 
   
5,2松山空港に9時過ぎに到着。高速に乗り、本日1番の寺、60番「横峰寺」に、途中でバスを小型に乗り換え、昔だったら「お遍路転がし」と言われたお寺だったが今はこのように30分程度で上まであがってこれるのです。   朝のお勤めを兼ねて、お経を唱えます。
   
さて山を下り、昼を食べ、前回の浄瑠璃寺の次の寺、48番「西林寺」へ向かう。   この寺は、遍路にとって「関所」と言われ、19番「立江寺」と同じで、罪あるものが、門をくぐると「無間地獄」に落ちる、と言われる。上の写真の川より低い土地に、寺があることからそういわれている。実際に、川の流れは豊かで、弘法大師が、水脈を発見し、寺の西南に杖をついて清水がわき出た、「杖の淵」がある。
   
 49番「浄土寺」と50番「繁多寺」に詣る。  この後51番「石手寺」に詣り、この日が終了。その後、JR松山までバスで移動し、道後温泉まで、市電を楽しむ。写真のものは、古い形だが、最近は新しい低床型が増え、広電と同じでおしゃれなものが多い。我々は、偶然にもこの古い形に乗車することができた。
   
 この日の気温は25度まで上昇し、古い車内も冷房が入れられていた。  車内はバスのように狭く、でもあの「チンチン」となる、停車を希望するときに鳴らすベルは健在である。
   
終点の道後温泉で降り、「坊ちゃん列車」がちょうど煙を吐きながら出発するところであった。   時刻は、ちょうど5時。道後温泉のからくり時計をカメラに写そうと人だかりが大変。今宵の宿は、ホテル「椿館」別館。ここから坂を1分ほど登ったところである。
   
前自治は、寺参りの疲れで、私は、寝てしまったのですが、ほかの方々は、夜のうちに道後温泉「本館」の湯を楽しまれたようである。翌日朝1番で、6時前に風呂に行ってみたら、ご覧の有様である。   夜のうちに車で移動してきた人々や。周りのたくさんのホテルや旅館に泊まっている方々で、本館の前ありを列をなしていました。有料のお休みどころは2階も3階もすでに満席。すごいですねえ。
   
 53番「円明寺」、  円明寺境内。
   
円明子にて、この日朝のお勤めを兼ね、1番のお経のを唱える。   52番「太山寺」に詣る。ここは、愛媛県で2番目に古い歴史のある本堂で、仁王門から納経所を経て、坂を300mくらいの墓お多ところに石段があり、やっと高台の本堂に着く。
   
54番「延命寺」   参道や山門をくぐって境内地に着くとそこは、大きなツツジの木が手入れされて咲き誇っておりました。
   
 お参りを済ませて来た道を戻ると、  駐車場のところで、このお二人が、「お接待」をしてくださりました。温かい気持ちがうれしいですねえ。クッキーを頂きました。
   
 56番「泰山寺」  55番「南光坊」ここを打ち終わって昼飯を食べます。
   
 神社とお寺を分けたところ「別宮山」の山号になったとか。 前回訪ねたときとだいぶ違って遠くから、なにやら木造のマンションみたいな建物が目につきます。 午後から57番「永n宦vに詣る。 
   
高野山真言宗の寺で、前回至ったときより境内地も整えられていました。とれも紹介されるくらいきれいになったとか。  マンションみたいに見えたものは、どうやら御住職の住まいのようです。
   
近くで見るとそんなに大きくなく、このように3階建てくらいの小さなものでした。遠くからだとこの建物が結構おしゃれで目立つので、このお寺に参るときには、役立ちます。   58番「仙遊寺」を詣り、本日最後の寺「国分寺」を札うちする。義輝の表情もさすがに少し、疲れ気味である。
  
  
上から夜がだんだん明けてくる景色を楽しむ。朝、4時30分からほんの10分くらいの間の同じ場所からの景色の変化である。今回泊めていただいたのは、今治市内にある「今治国際ホテル」。和室からの眺めも最高でした。  最終日、5月4日(日)。最初は、61番寺「香園寺(こうおんじ)」。この寺はコンサートホールのような大きな本堂を持つお寺さんです。
  
 大師堂はなく、お大師様も我々のお寺と同じで、本尊の脇に鎮座しています。 本尊は巨大な大日如来。
  
62番「宝寿寺」に詣った後、63番「吉祥寺」に詣る。この寺にある「吉祥天」。うちの寺の吉祥天と同じお姿で石造り。この下をくぐると願い事が叶うと言われているそうです。よくばって3回もくぐってしまいました。(皆様が幸せになりますように!!)  
  
 掲示板にはこの説明書きが・・・・。 その隣にひっそりとあった「成就石」。本堂前からまっすぐと目をつむり歩いてきて、、金剛杖を「えいっ!!」とこの穴に指すことができると願い事が叶う、とか。これは結構難しいと思いますよ。
  
本堂前から成就石を望む。  続いて64番「前神寺」ここは、石鎚山の別当寺現在地に建立され、徳川家の青井の文を頂戴している。(正面ガラス参照。)
  
本堂左右には、雨で濡れないよう、長い参詣者用堂があり、天気がよいので我々は正面道から大師堂へ移動する。  次ぎに65番「三角寺」。ここは、山の中腹にあり、バスを降り、ワゴンタクシーやタクシーに分乗し、山を登っていく。
  
入り口につくとこの階段を上り、狭い境内で参詣を済ます。  三角寺を終え、次に向かったのが66番「雲辺寺」。ここから香川県の道場とないます。ローピウェイで一気に山頂へ。
  
準備をする永嶌さん。  山頂の気温はこの通り。下とは6度くらい違います。下界からやく海抜1000m位の山に登るのですから100mで0,6度気温が下がったとして、やっぱり計算は合っていますね。
  
この通り、まだ、桜が咲いています。  ロープウェイを降りたところは香川県。今、皆様が進んでいるところは徳島県になります。県境にお寺はあるのです。
  
 本堂を詣ったあと、大師堂に詣る。 参道には500羅漢が飾ってあります。
  
  
 皆さんとここで記念写真。カメラマンは香川県、皆さんは徳島県にいることになります。 私は女房殿と羅漢さんの手のひらに腰掛け写真に収まる。そう、悟空と同じ、仏様に踊らされ、一生を過ごしているのです。
  
 その跡を継ぐ、息子とともに。次に来るときは、息子が先達として、私は、その「猪八戒」、お供として、この「雲辺寺」にくることになるでしょう。 下山するロープウェイ車内は、この格子をみてわかるように、下から風が来るようになっているのです。「マリリンモンロー」ではなく、私の衣の裾がめくれているのです。
 私の影が「雲辺寺」の毘沙門天像のように見えたのでパチリ。 こんなに高いところから一気に下ります。
  
  
雲辺寺から降りた後は、67番「大興寺」、68番「神恵院」69番「観音寺」にて今回の寺参りを終える。  高松空港まで行く間におなかが減ったので、添乗員の杉山さんに相談し、せっかく「うどん県」にきたのだから、うどんや食べませんか、と相談。空港近くの有名なお店に直行。
   
 セルフのお店ではありませんが、おいしいお店でした。ちなみに私は、ぶっかけうどんを2杯頂きました。  また、来年もお願いします。来年は、70番から、平成27年4月2日(木)から3泊4日香川県の道場と和歌山県へ高野山、根来寺(ねごろじ)まで詣る予定です。・・・・住職。










 お遍路 高知・愛媛(一部)遍 25,5,18〜5,21


   
 お世話になった「土佐電気鉄道」のバスガイド尾崎さんと運転手の西島さん。  出発前に「高知龍馬空港」にて。
   
バスは、室戸岬に向かって進む。27番寺納経所は、かなりの難所だが、空と海と一体になって見える。   山の下からワゴンタクシーに乗り換えた後でも歩かねばならない場所にある。
   
 26番「金剛頂寺」、25番寺「津照寺」の後、室戸岬の端にある「最御崎寺(ほつみさきじ)」に参拝する。  
   
その後、弘法大師の修行した場所にバスで移動する。皆さんお疲れの様子もなく、いたって元気。   「御厨人窟(みくろど)」という洞窟で50日間修行したという場所。
   
岩と岩に囲まれた不思議な空間。  鳥居の先の金星がが大師の体の中に入ったり出たりしたという。
   
 1泊目の宿は、阪神タイガースのキャンプ地だった安芸市にあるホテル「タマイ」。 結婚式場も備えるビジネスホテル。食事を前にくつろぐお二人。 
   
   名物は「縮緬丼」。結構おいしかったです。
   
 2日目は、高知市内に向かって28番寺「大日寺」から。ここは吉祥院と同じく智山派のお寺です。  続いて29番「国分寺」は、本堂の修繕にてこの様子。
   
境内地はこのように情緒のあるお寺です。ここも智山派。   続いて30番「善楽寺」。この頃からだんだん雨脚が強くなってくる。
   
 高知市内「はりまや橋」近くでは、ご覧の通りである。  31番「竹林寺」。ここも智山派のお寺です。
   
本堂内にある「地獄極楽図」智山派の冊子「生きる力」の載っていた阿部貴子先生解釈のものと同じものです。  32番「禅師峰寺(ぜんじぶじ)」の後、33番「雪渓寺」を訪ねる。ここは吉祥院と同じ「毘沙門天」「吉祥天」「善賦師童子(ぜんにしどうじ)」が重要文化財となって「宝物館」に眠る。今回、特別のお願いして見せていただいた。感謝である。 
   
 34番「種間寺」。  本堂内。そして本来なら34番のこのお寺で本日は終わりの予定でしたが龍馬像も桂浜も雨で眺めただけで、早く切り上げたので時間がまだ早い。明日の分のお寺を1軒でもやっていた方が、「翌日が楽だ」ということで、36番「青龍寺」を今日泊まる宿のマイクロバスで宿からすぐなので参拝することにする。
   
 バスは、お寺のすぐしたまで入れるのだが、このお寺は、階段が非常に多い。  ご覧の通りである。それでも今年は皆さん、とってもがんばって、足下がお強い。
   
本尊「波切り不動明王」もお力を与えてくれているようでした。   最後に大師堂にお参りして、本日終了。
   
 お宿は、大阪の不動産屋さんが経営する「三陽荘」。ここは、黄金大師をまつっており、3年前に温泉がわき出たばかりの20年という歴史の浅い宿ではありますが、サービスも良く、食事もおいしく、温泉も大変良いお宿でありました。  ご飯を食べ、お風呂につかって、濡れた体と疲れた体をいやしていただきました。
   
 翌日20日は、雨もやみ、青空も見えてまいりました。  35番「清滝寺」。ここは、ワゴンタクシーに途中で乗り継いで、細くてくねくねした道を境内地まで行っていただき詣りました。ここから約60km移動し、岩本寺に向かう。
   
37番「岩本寺」ここも智山派の寺。この寺の絵天井は、本堂を建てるときに、1枚1枚手書きのものを格天井にはめ込んである。   この寺でイタリアから自転車を持ち込んでお遍路をしている男性から「この寺で最後でイタリアに帰らなければならないから写真一緒にとってくれませんか。」と頼まれた。快く皆さんで写真をご一緒にする。ちなみにこの自転車は、30年以上愛用しているものとか。歴戦の名機である
   
 足摺岬にある寺38番「金剛福寺」。岩本寺もそうだが、この寺に来るまで90km近くも移動しなければたどり着かない。約2時間である。  24番寺のある室戸岬から、この足摺岬まで高知の端から端までこの3日間で皆様よく頑張ってお参りしてくることができました。「同行二人」南無大師遍照金剛。
   
 ここが足摺岬の最先端。海の色が濃く澄んでいる。  行く船を守る灯台。皆さんとともにせっかくの機会なので弘法大師のごとく「この地」を感じることができた。
   
 本日最後の寺であり、高知県最後の寺でもある39番「延光寺」。宿毛市内に向けバスはまた、70kmほど移動しての到着である。 この寺は「赤亀山(しゃっきさん)」と言い、赤い亀の御朱印を寺のいわれで押してくださる。徳島県の20番「鶴林寺」で鶴の印を押していただいてあるので、ここの寺で御朱印を押していただくと「鶴・亀」の御朱印がそろうわけである。この日は、この後30kmほど移動し、「サンパール」という宿に泊まり、明日の最終日に備える。 
   
 宿泊していたホテルから10分ほどの近くの40番「観自在寺」。最終日朝1番でお参りです。ここから愛媛県がスタートです。  これからの皆様の人生に「子年から亥年までの守り本尊」を背に記念写真。
   
 続いて細い路地の階段を登って41番「龍光寺」。ここでは近くの小学校の子供たちに遭遇。「どうしてお遍路さんをするのですか。」等インタビューを受ける。総合学習なのだそう。  41番からほど近くの寺、42番「仏木寺」。以前来たときより来年平成26年が弘法大師が霊場開始1200年と言うことで山門が新しくなっていたりしてだいぶ手が入った感じがした。
   
 近くに高速道路ができ、42番から松山自動車道にのって早くなった43番「明石寺」ここの寺も本堂の屋根を修復していました。  この寺では、お参りの後、お茶とお茶菓子(手作りのふかしまんじゅう)のお接待を受ける。その後、山門近くのお手rが経営するレストランで昼食。冷やしうどんや混ぜご飯、唐揚げ等のお弁当だったが、大変おいしく彩りも目に鮮やかで食欲を誘う内容だった。
   
 再度高速にのり、44番「大宝寺」に詣る。ここも本当に高速が使えたので早く着くことができた。 坂と階段は、次の訪れる寺「岩屋寺」の練習のようであった。 
   
予定よりも早く、午後1時過ぎに岩屋寺駐車場に到着。正面の山の中腹にお寺がある。   この寺は、現在でも88カ所霊場中唯一、車や乗り物で入れない場所にあり、一番の難所。しかもここには、寺関係者がお住まいで2,3年前から庫裡と納経所の建て替え工事が進んである。写真は、参道入り口に咲いていた「シャガ」の群生。
   
 まだまだこれからじゃ。岩屋の坂と人生は。  無事、全員本堂に到着。山にかかるように本堂も建てられている。
   
こちらは脇にある大師堂。ここも山を背にくっつくように建てられている。   参道を降りお参りを終えての喜光院中村ご住職と鈴木氏。
   
皆様がよくがんばってお歩きになったので、予定外に2ヶ寺お参りを増やさせていただいて、来年楽に進められるようにさせていただく。山を下り、松山市内砥部を過ぎ、浄瑠璃町にある寺46番「浄瑠璃寺」に詣る。   この寺は小さなお寺だが、本堂や大師堂も細かな工夫があり、住職さんや信者さんの心をとても感じられる寺。
   
 こちらが本堂。  本堂の天井には、古い本尊の薬師様の絵皿がかかっている。
   
人が亡くなってから浄仏に至るまでの流れが手書きでかかれているもの。興味があったのでこの複写を300円で買い求めてきました。   今回最後の寺47番「八坂寺」入り口の門には「飛天」の絵天井。
   
ほどよく階段を登るときは、本堂から後光が差すように西に沈もうとする太陽が光を与えてくれています。  お参りを済まし、小さな焔魔堂があるので扉を開放し皆様にお参りしていただく。また、次回の霊場参りにお力をいただけるように。・・・・・住職。 







 お遍路(徳島)遍
 24.6.7


   
 出発前に荷物を預けます。  チケットをバーコードで読むとテープが出てきます。
   
 あの飛行機に乗るのかしら・・・。飛行機はゆったりとしたボーイング767でした。  徳島空港にて阿波踊りの銅像を背に記念写真。
   
 1番寺「霊山寺」手前の発心堂にて注文してあった装束等の道具を受け取る。  
   
 発心門の撮影のあと、いよいよ本堂、大師堂の順に線香ろうそくを灯し、お経を上げていきます。  お世話になった東交バスの運転手並びにガイドさん。ガイドさんの説明は的確で、細かなところまで心配りの出来る方でした。また、この次もぜひ、お願いいたします。
   
 5番寺の「地蔵寺」を終えたところで遅めの昼食。  ざるうどんと釜飯ご飯でした。みんなエネルギー充填。
   
 宿泊した7番寺「十楽寺」不動像。かなり大きな像で見上げるほどです。ここに来るまでで、10番寺「切幡寺」まで打ち終わりました。ちなみにきついとされる10番寺もジャンボタクシーに乗り換え、境内地の手前まで上がっていただきました。  朝のお勤め。夕食は、鰹のたたきとエトセトラ。大変おいしくご飯をいただきました。生ビールを飲んだ方もおいしかった、とのこと。
   
 ご住職のお話をいただく。朝、私たちが出発するときも、わざわざお見送りにバスのところまで出ておいでになり、お見送りいただきました。  このあと、11番寺「藤井寺」にお参りし、13番「大日寺」のあと12番寺「焼山寺」に向かいます。マイクロバスに乗り換えて山道を登ること20分。標高、何百mのところにお寺はあります。この写真は、お昼を食べた田中食堂のところ。
   
   
   
 12番寺「焼山寺」山門前にて。ここにたどり着くには駐車場からも結構歩きます。、  2泊目。月が谷温泉。「月の宿」。温泉は良かった。
   
   
 皆さん、こんなこんな感じで山を登ってまいりました。  息子もそろそろ疲れ始めた様子。
   
  23番寺「薬王院」にて雨の中を参拝する。 
   前日に廻れなかった18番寺「恩山寺」にて札打ち終了。




◎「吉祥院」の遠足
 23,7,6

 
・柴又帝釈天・寅さん記念館・スカイツリー・浅草寺・等々力不動

   
 このときまでは、カメラを忘れないようにと心がけていたのです。  バスの中で「しまった!!」と気づいたが、後の祭り。携帯で写真を撮ることにしたのです。今回お世話になったバスは、「滋賀中央観光バス」です。
   
 京葉道路をひた走ったあと、小松川で降り、柴又帝釈天に向かいます。これはその参道。「高木屋」さんには、お世話になりました。  柴又帝釈天。ここを過ぎて寅さん会館に歩いていきます。
   
 中はお見せできませんが、ここはおもしろかったですよ。もう、本当に寅さんの世界、一色です。  次にいったのが、スカイタワーのある業平橋。真下から見上げるとくらくらするくらいの高さです。
   
 浅草寺は写真を取り損ねましたが、釜飯「春」で食事をした後、1時間30分もの自由時間を各々お過ごしいただきまして、ここ、等々力不動に午後3時30分頃到着しました。  阿部龍文ご住職をみんなで待っている写真がこれです。
    阿部龍文ご住職登場。この後、1時間ほどかけて、護摩を焚いてくださいました。88才で前日まで、根来寺(ねごろじ和歌山県)で専修学院生の修行をお励ましになり、明日7日は、ご自坊の満願寺で、施餓鬼供養だそうです。そして、いつものように「必ず、吉祥院のお閻魔様に会いに行かせていただきますよ。行くときには電話をしてから詣ります。」のお言葉を頂戴しました。忙しくなくなったらお立ち寄りくださいね。・・・・・・・住職。
 






◎本山「智積院」団参 
22.5.29から22.5.30

今回もお世話になった「大日ドリーム」号。でも今回は、大型で45人乗り補助席使用で53人も乗れるデラックス使用です。運転手さんもベテランで、高速道路の渋滞を見つければ下道に逃げ、30キロの渋滞も難なくこなしたのでした。 彼女はベテランのバスガイド、玉造さん。バスの中では、「眠たい人は寝ていてくださいねえ。私は勝手にしゃべっていますからねえ。」と走っている所の情報はまさに「しゃべる百科事典」。豊富な知識と気配りで私たちを楽しめながらサポートしてくれました。
お昼ご飯は、新名神高速道路をいったんおりて、信楽高原の「澤善」。「ここは木更津か」と見間違うほどの大きな狸たちが出迎えてくれます。
この方は、鎌倉は稲村ヶ崎より参加してくれた「森」さん。 会計の粕谷さんと会長の宮アさん夫妻。確かに大きな狸だなあ、と感心しきり。
ここの建物で昼食をとりました。 このあとも無事走り抜け、「清水寺」にたどり着きました。しかし、修学旅行やら観光客の多いこと多いこと。
清水寺の舞台よりながむ。 ここはお水取りの場所。
望遠で寄ってみると、ここにも高校生の長蛇の列が・・・・。 このあと本山「智積院」には予定通り16:00に到着。
職員の方が出迎えてくださる中、17:30には夕食、その後門限の午後10:00まで各自、駅方面に散策される方や、木屋町あたりで餃子を食べた方など、楽しくお過ごしいただきました。 翌日は、早い方で3時頃起床した方もあったようですが、午前5時15分には、1階ロビーで朝のお勤めの説明がありました。
金堂地下の写経所では、本山職員の指導の下、 この様にみなさんがお座りになり、「十善戒」の言葉を写経いたしました。
中央の方は、閻魔様や本尊様を修繕する窓口となって下さった「天倶屋」さんです。 鎗田さんも真剣な表情で説明を聞いています。
向かって右が宮崎さん。秩父観音霊場から毎回参加の皆勤賞です。 仁さんも信夫さんも何度か参加してくださっている方々です。
このお三方は女性陣でほぼ、毎回参加してくださっている方々です。 袖ヶ浦「喜光院」の御詠歌の方々。いつもご参加ありがとうございます。
嘉一さん。般若心経よりは易しいけれど、心を込めて視写します。
正さんは、このあと能化様に代表として、みなさんの書いた写経をお渡しする係です。
書いた写経は、いったん大日如来様にお預けします。 6時より朝のお勤め開始、チチンと鐘が鳴る中、お導師様と共に大勢のお坊さんが入場します。
この様に吉祥院と同様、椅子席あるので、正座の苦手な方でも、朝のお勤めに参加できます。 阿部龍文 能化様より、お手書きの書をいただきました。
記念写真のあと、護摩堂にてお護摩に参加しました。
僧侶たちの錫状と読経の中、お護摩は始まりました。
うす暗い中、お護摩の火だけがこうこうと燃えています。 その後、境内の案内とお庭を眺めながらのお茶の一服。国宝のふすま絵(長谷川等伯)の説明等がありました。
本山の職員の見送る中、9時には智積院をあとにし、太秦の映画村に9時30分に到着。11時まで楽しみました。残念ながらカメラをバスの中に忘れてしまったために太秦の写真を撮ることはできせんでしたが、武内清さんなどは、時代劇のショウのあと、俳優の方と楽しくお話をしたそうですよ。
その後バスで京都市役所前まで移動。当日は何かイベントを実施していて、ツールドフランスの解説で有名なサッシャーさんが司会をしていました。 京都は夏は暑いので地下街が広く、お店はほとんど地下にあります。ここから地下に階段で下りていきます。
「京都市役所駅」は「烏丸御池駅」とつながっています。ここから終点の「浜大津駅」まで京阪線の地下鉄に乗っていきます。地下鉄東西線と乗り入れているのです。 席は横座りもありますが、この様な変わっているのものもあります。全員が座っていくことができました。浜大津駅で当初と変更し、京阪坂本線に乗り換え、二つ目の「別所駅」でバスの待っていてもらいました。
バスでわずか1分。園城寺(三井寺)に到着。ここでお昼ご飯を食べてから参拝します。 園城寺では、「弁慶の引きずったつり鐘」があり、鐘の音が有名です。
300円はちょっと高めですが、鐘を突き満足そうな仁さん。 最後に観世音菩薩にお参りし、帰路につきました。皆さま、来年は、日帰りでまた、どこぞ楽しいところに詣りましょう。・・・・・・住職。








◎上総第3教区壇信徒会議
・・・21,11,9

今回お願いした参加者は、橋秀男さん、元木 榮さん、星野利二さんの3名です。 今年は、鎌倉円覚寺と川崎大師に研修に参ります。まずは円如寺の御住職(教区長)竹井道治氏のご挨拶から始まりました。
鎌倉円覚寺では、まずは、本坊に上がり、皆で、本尊前でお経を唱え、御詠歌を奉納しました。 その後、教学部長のお坊さんから円覚寺のことについてご説明がありました。
普段は特別の時にしか入ることのできない、舎利殿(国宝)へも見学を許され、いろいろと説明をしていただきました。屋根はサワラ葺きだそうです。隣の建物では、修行僧の雲水たちの部屋も見学させていただきました。「立って半畳寝て一畳」の生活の場だそうです。
円覚寺山門前で記念写真。 お昼は、北鎌倉の料亭で、2370円也の会席料理の弁当でした。
続いて訪れたのが川崎大師。これは本堂に続く山門です。大きい。 本堂前で記念写真。ちょうど7・5・3の週間だそうです。
本尊はもちろん、弘法大師様。脇は、右が不動明王、左が愛染明王です。 御詠歌の奉納とお護摩を焚いていただきました。


◎「吉祥院護持会」の世話人さんたちと
  「高幡不動」と「等々力不動」(満願寺)に
  お参りしてきました。
 平成20年1月26日(土)

高幡不動(日野市)不動堂前で。お護摩では、客殿からVIP扱いで、内陣に特別に席を設けてくださり、おまけに、智積院の島 総務部長以下、内局の方々と一緒に、参加するというすごい手厚い接待をして頂きました。黒川総務部長様、川澄貫首様、案内をして頂いた職員の方々、ありがとうございました。 大日堂(本堂)で職員の方のご説明を受ける。
この鏡板の前で手を打つと「鳴り龍」がビビーンと響く。 普段と違って襖絵もおめでたい「八福神(左端に吉祥天も入っている)になっている。
大日堂裏には、雄檀家さんの位牌がずーーーっとたくさんあった。 丈六不動(国の重要文化財指定)を特別参拝する。
ちょっとピンぼけですが山門を出る。 するとすぐに「開運そば」が・・・。
みんなでそば定食を頂きました。 美しい油絵が。ここの女将さんらしいです。
満願寺別院等々力不動です。まず、ここで「お護摩」に参加したのですが、この中で、びっくりすることが待ち受けていようとは、思いもよりませんでした。職員の方が案内してくれることになっていたのですが、いざ、あがってみて「お護摩」が始まると、何か雰囲気が、「ちょっと待て。導師をなさっているのは、お年を召した職員の方かな。もしや、ええっーーー。な、なんと、ご住職ではありませんか。真言宗智山派管長自らが、お護摩を私たちのために焚いてくださっていたのです。目を疑ってしまいました。そのあとで、渓谷に面した、庫裡もご案内までしてくださいました。信じられない・・・・・・。 渓谷に面して舞台もあります。このあとに本堂のある、満願寺に移動しました。
山門です。いよいよ満願寺に入ります。 本堂正面です。美しい。
春は、きっと桜が美しいことでしょう。 事務所と客殿があります。この中に私たちは、通して頂きました。
客殿の中に入らないと塔の様子はわからない。でも、美しい。 ご住職自ら設計された、塔。きれいな裏庭の中にある。
すごく立派な本堂のなかで、みんなで一緒に、ご法要をし、焼香させて頂きました。 吉祥院と同じ線香をつける道具をお使いでした。
阿部ご住職と共に記念撮影をさせて頂きました。 「歴代の住職は、この駕籠に乗って、晋山式に臨みました。」と自らご説明されるご住職(智山派管長 ・智積院化主 阿部 龍文 満願寺ご住職)。とても気さくでお優しい印象を受けました。
こんなに気さくな真言宗智山派管長様。檀家総代・宮ア善一氏と。 住職(自分)もびっくり。「吉祥院の閻魔様を必ず、見に行きますよ。」とまで、おっしゃってくださいました。本当に来てくれるのかなあ。もし、本当に来てくださるのなら、檀家の方々と共に、大歓迎致します。本当かなあ。